メディアと歴史
歴史展覧会 - 事実の構築  
Stanislaw Mucha, 1945: Einfahrt zum Vernichtungslager Auschwitz-Birkenau; Copyright: Gedenkstätte und Museum Auschwitz-Birkenauドイツ歴史博物館の展覧会「諸国民の神話」の図録
Cop: Verlag Philipp von Zabern
歴史展覧会がはやりである。入場者が殺到するこうした大がかりな展覧会は、歴史的事実の構築に影響を及ぼす。だが、まさにその過去の像の作り方と伝え方に問題があるのだ。

歴史展覧会、映画、書籍で使われる写真や絵画といった図版は、じっさいに起こったことを再構成することができない(*1)。だが、歴史家やキュレーターはそうした素材を使わざるをえない。もし彼らが「現実のプロセス性」、つまり出来事の経過をを、これらの素材でほんとうに描出できると思い込んでいるとしたら、それは間違いもはなはだしい。というのは、歴史的な出来事の描出は、「フィクション・メイキング・アクティヴィティ」(*2)、つまり歴史の「着服」の結果であって、それは最良のばあいでも事実の一部を示すことができるにすぎないからだ。

歴史展覧会

展覧会では図版(*3)、文章、空間がひとつに結びつけられる。だが、この図版、文章、空間の三つのレベルが、それぞれに問題を孕んでいる。

図版

図版は、歴史展覧会において、キュレーターがその資料価値の問題をはっきりさせないままだったり、図版そのものが歴史構築の一端を担うことを熟慮しないまま、出来事、テーマなどを図解するために用いられてしまうことがたいへん多い。図版は、単なる図解ではまったくはなく、それが図解しているように見えるだけの事実の構築の一端であることが(...)、いつも「見て見ぬふり」をされるのだ。それだけに図版が、感受、理性、行為、記憶に影響を及ぼすことを(...)、強く心に留める必要がある(*4)。

スタニスワフ・ムハが1945年に撮影したアウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所の入口。; Cop: Gedenkstätte und Museum Auschwitz-Birkenau図版がどれほどの影響を及ぼすかは、現代史のとりわけ重要な一例が示している。スタニスワフ・ムハは1945年冬、アウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所の入口の写真を撮った。この写真は、世界中で何十年にもわたり、書籍、映画、展覧会で使われ、「絶滅のイコン」(*5)と化した。だがよく観察してみると、この写真には観る者が見たと思っているものが写っていないことがわかる。写真は1945年の収容所解放のあとに撮られたもので、そこには痛ましい人間たちも列車も監視塔の見張りも写っていないのだ。それにムハが撮ったのは、収容所そのものではなく、絶滅収容所の入口の門である。それもかかわらず、この写真は「感性、理性、行為、記憶」に影響を及ぼしたのである。それはいわば「見えない文脈の糸に連結している」のだ(*6)。この写真が効果的である原因は、とりわけアウシュヴィッツ―絶滅―空虚―冷たさ―孤独という、観る者のなかで無意識のうちに湧き上がってくる連想連鎖が、じかに感情移入力と情緒に訴えかけくることである。たぶんこの写真の恐ろしいほどの存在感が、効果、受容史、意味の弁明なしに、キュレーターたちがそれを繰り返し使うという状況を招いたのだろう(*7)。

図版は歴史の記録だという誤った仮定が、展覧会における図版の使用を安易なものにしているようである。キュレーターたちは、図版に戦闘や処刑といったものを描出するための理想的なパートナーを見いだしているのだ。だが歴史の構築手段としての図版は、文章と同じように批判的に捉える必要が必要がある。

図版と文章

歴史展覧会は、年代順あるいはテーマ別の基本構図で整理されていることが多い。出来事を叙述し、結果を論ずる文章に、この文章を図解することになっている図版が添えられる。だがその図版は、出来事も結果も図解することはできない。たとえばムハの写真は、ユダヤ人虐殺を写し出したものではないのに、ほとんどすべての展覧会でこの写真に添付される文章でアウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所の歴史が事細かに叙述されるのである。

図版が正確に図解できないのは、それが別の時代のものであるということにも起因する。図版は、文章とはちがい、過去に属しているのだ。厳密に言えば、文章は過去に対する現在の立場を叙述し、図版は、現在とは関連なしに過去の立場を叙述するのである。両者の関連は、キュレーターによってはじめてつくりあげられるのだ。展覧会にとって最悪なのは、現在の文章が過去の歴史構築手段を利用しながら、その構築の立場を不問に付すことだろう。

空間

展覧会の入場者は、図版、陳列ケース、長い文章や短い文章などを同時に見ることのできる空間のなかを移動する。というわけで、空間と時間における知覚の問題は、展覧会の第三の要素である。空間内の移動と知覚に意味のある視覚的論理性を持たせるという問題の解決は、図版がどのようなコンセプトでその役割を果たすのかという問いと決定的に関わっている。図版こそ展覧会の本質的条件であり、入場者の知覚を支配するのにもかかわらず、図版が文章を単に図解するだけであれば、空間内の視覚的論理性は生まれないだろう。展覧会を展覧会として真剣に捉えるならば、図版レベルでも展覧会のテーマに即した図版の「語り」が生まれるよう、厳密に図版の順序や並べ方を考えるべきだろう。展覧会「諸国民の神話。1945年―記憶の舞台 Mythen der Nationen. 1945 – Arena der Erinnerungen」では、図版を通じた図解はしなかった。ここでは図版が、すべてのコンセプト発想の出発点だったのである(*8)。

(*1) Hayden White: Das Ereignis der Moderne. In: Eva Hohenberger, Judith Keilbach (Hg.): Die Gegenwart der Vergangenheit. Dokumentarfilm, Fernsehen und Geschichte, Berlin 2003, S. 200を参照。

(*2)Hohenberger, Eva: Dokumentarfilmtheorie. In: Hohenberger: Bilder des Wirklichen (Anm. 6), S. 22. Hohenbergerは「フィクション・メイキングfiction making 」という語を William Howard Guynn: A Cinema of Nonfiction, Rutherford N.J. 1990, S. 133. から引用している。Hayden Whiteの本 Auch Klio dichtet oder die Fiktion des Faktischen, Stuttgart 1986(Reinhard Koselleck編)では、すでに「歴史の女神も作り話をする、または事実のフィクション」というその書名のなかに、じっさいに起こった歴史とその解釈のあいだの問題点が指摘されている。

(*3)本稿では図版のみを論じる。

(*4)展覧会「諸国民の神話。1945年―記憶の舞台Mythen der Nationen. 1945. Arena der Erinnerungen」のためのHorst Bredekampの開幕の辞(2004年10月1日)。 http://www.dhm.de/ausstellungen/mythen-der-nationen/eroeffnung.htm#bredekamp (2007年2月27日)より。

(*5) Cornelia Brink: Ikonen der Vernichtung. öffentlicher Gebrauch von Fotografien aus nationalsozialistischen Konzentrationslagern nach 1945, Berlin 1998を参照。

(*6) Gottfried Boehm: Jenseits der Sprache? Anmerkungen zur Logik der Bilder. In: Christa Maar/Hubert Burda (Hg.), Iconic Turn. Die neue Macht der Bilder, Köln 2004, S. 35を参照。

(*7) Horst Bredekamp: Bildakte als Zeugnis und Urteil. In: Monika Flacke (Hg.): Mythen der Nationen. 1949 – Arena der Erinnerungen, Mainz 2004, S. 45 – 51 (Photographie, oder: Die Problematik der Betrachtung)およびEva Hohenberger: Dokumentarfilmtheorie. In: Eva Hohenberger (Hg.): Bilder des Wirklichen. Texte zur Theorie des Dokumentarfilms, Berlin 1998, とくにS. 26を参照。

(*8)展覧会「諸国民の神話。1945年―記憶の舞台 Mythen der Nationen. 1945 – Arena der Erinnerungen」 については http://www.dhm.de/ausstellungen/mythen-der-nationen/ausstellung.htmを参照。


モーニカ・フラッケ
ドイツ歴史博物館(ベルリン)学芸員、絵画・写真コレクションの責任者。

Copyright: Goethe-Institut, Online-Redaktion
訳: M.A.
2007年4月


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