米田知子 Yoneda Tomoko





瞬間を写し取り、記録する写真というメディアを用いる米田知子(1965-)の作品は、さらに目の前に広がる風景に刻まれた、過去に起こった出来事の記憶を想起させる。

空、大河、茂る草木が広がる現在の穏やかな景色の中には現れていない、しかしその場所で何かが起こったという歴然とした史実は、土地とその場所に生きる人々の記憶の一部となって、消えることなく存在している。米田は両親から戦争体験を聞いたことが契機となって、ジャーナリスティックな視点で、破壊や喪失を抱える場所に赴き、分断された過去と現実を同じフレームの中に重ね見るよう私たちを誘う。

今回広島で展示する作品は、いずれも戦争の記憶を留める場所を撮影したものである。それは韓国と北朝鮮の軍事境界線地帯、人類初めての被爆地となり、以降70年の時を経た広島、靖国神社などである。うち1枚の、荒涼とした丘陵地帯を撮影した作品は、1948年イギリス、グロソップで不慮の事故から墜落したB−29の機体が今なお散逸する風景である。第2次世界大戦中からのアメリカ軍の大型戦略爆撃機であったB−29は、日本全土に及ぶ空襲に使われ、広島・長崎へ原子爆弾の投下を行い、米ソの対立を背景に1950年に勃発した朝鮮戦争においても主機として使用された。1946年ビキニ環礁での核実験の際には、撮影偵察機として傍を飛んでもいる。かつて複数の戦争で上空に飛来し破壊を担った爆撃機が、一転、墜落事故の被害機としてその残骸をあらわにする。米田が撮影した現代の風景の一断面で、加害者と被害者の立ち位置は容易に入れ替わる。

境界を横断し、その両側から捉える米田の視点から、過去を振り返り作られる歴史認識を、固定した位置から定義することなく、地域、時間を横断した、果敢で新たなる認識として捉えることへ私たちを後押しする。


《The Parallel Lives of Others –Encounter with Sorge Spy Ring》は、国際的なスパイ活動に従事したスパイたちが、第二次大戦勃発直前に秘密会合を持ったとされる、日本と中国の様々な場所を記録している。この会合は、ドイツ人ジャーナリストであり、密かにソビエト連邦のスパイとして活動したリヒャルト・ゾルゲと彼の情報提供者が主導したもので、日本人ジャーナリストであり共産党員、政治アドバイザーの尾崎秀実も含まれていた。親密なフォトフレームサイズ、ソフトフォーカス、モノクロームのトーンで映し出された情景は、スパイたちの運命の不確かさ、過去の歴史的出来事の記録の曖昧さを暗示している。

米田知子は、カメラを通してアジアへ誠実な眼差しを向け、日本の近代化プロセスの遺物を提示する。例えば台湾では、台北にある日本様式の家屋や菁尞老街の風景が写真作品のテーマとなった。《Japanese House》シリーズは、日本占領時代の建築様式を客観的に記録するとともに、蒋介石政権下で参謀総長であった王叔銘将軍、ポツダム宣言にサインした日本の首相・鈴木貫太郎の娘など、かつての住民の個人的な記憶を辿っている。本作品は主要な歴史的言説の中の隠された過去について、その多面的な特質を浮かび上がらせている。

1965年兵庫県生まれ。現在はロンドンに住み、制作活動を行う。瞬間を捉え、記録するメディアとして写真を用い、私たちの目の前に広がる風景に刻み込まれた、かつて起きた出来事の記憶を喚起させる。近年は、近代化プロセスにおける重層的な経験と、日本とアジアの複雑な歴史的物語に焦点を当てている。これまでの個展に「Beyond Memory」(Grimaldi Gavin、ロンドン、2015年)、「We Shall Meet in Place Where There Is No Darkness」(東京都写真美術館、姫路市立美術館、2013-2014年)、「Japanese House」(シュウゴアーツ、2011年)、「An End Is a Beginning」(原美術館、2008年)がある。「Tell Me a Story」(Rockbund Art Museum、上海、2016年)、「In the Wake」(ボストン美術館、ジャパン・ソサエティー、ニューヨーク、2015-2016年)、 the SeMAビエンナーレメディアシティ・ソウル(2014年)、光州ビエンナーレ(2014年)、あいちトリエンナーレ(2013年)、キエフ・ビエンナーレ(2012年)、関渡ビエンナーレ(2010年)、ヴェネチア・ビエンナーレ(2007年)など様々な国際的な展覧会やグループ展にも参加している。