偶像的イメージからブランドデザインへ ― ドイツの自動車デザイン
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偶像的イメージからブランドデザインへ ― ドイツの自動車デザイン
2008 年秋、ドイツの自動車市場は暗鬱な空気に包まれている。オペルはメルケル首相に融資を申し入れ、BMW は生産一時停止に追い込まれ、メルセデス・ベンツは落ち着きを保とうとし、下請け企業の中には経営破綻が出始めている。
金融市場で始まった危機が実体経済にもたらした最初の犠牲者は、こともあろうにドイツにとって最愛の子供ともいうべき業種、自動車産業だ。ドイツにおいてはほぼ7人に1人の雇用が直接間接にそこに依存している自動車産業は、まるで親の愛を失った子供のように苦しんでいる。
いったい何がうまくいかなかったのだろう。これはほんとうに、自動車メーカーの景況に決定的なダメージを与える深刻な不況の前触れなのだろうか。それとも、代替エンジン技術のときのように、ドイツの自動車メーカーが重要なタイミングを逃したからなのだろうか。顧客は、エンジンはパワフルだが有害物質の排出量も多いドイツのプレミアムカーにお金を出すのをためらっているのだろうか。いや、そういうわけではなさそうだ。というのは、ドイツの自動車市場で過去数カ月間に明らかな成長を見せた唯一の分野が、いわゆる SUV 車、大型のオフロード車だったからだ。このタイプのクルマの有害物質排出量は、欧州委員会が自動車メーカーに対して適用しようとしている範囲をはるかに超えている。 今回の危機が自動車産業で初めてというわけではない。最近では 1980 年代の終わり頃に深刻な危機が訪れている。当時、ドイツの自動車産業はきわめて不確実な時代に突入しようとしていると思われていた。当時のダイムラー・ベンツ社長エドツァルト・ロイターは、もはや自動車メーカーとしての企業に未来はないと考え、統合モビリティー事業会社という理念に未来を託そうとしたほどであった。しかし、実際にはそうはならなかった。危機的な状況のなかで、ドイツのプレミアムカーはむしろ生産性を急激に改善し、市場戦略を持続可能な方向に切り替えることに成功したのだ。 続々出現した魅力的な車
振り返って見れば、1990年代の後半が始まるころ、一般の人々の自動車に対する認識に変化が起きていた。ドイツの町の通りのあちこちで、これまでになかったものが目につき始めた。なんとも魅力的な車がたくさん走っているのである。いったいこの変化をもたらしたのは何だったのか。自動車の製造技術において飛躍的な品質の向上があったことはもちろんだが、それよりも大きかったのは、デザイン面での質が格段に向上したことだった。 ドイツの自動車メーカーのモデルラインアップは多様化し、各ブランドのデザインアイデンティティーが新たに定義された。それを表現するために、かつてないほどのエネルギーが投入されたのである。だが決定的だったのは、長いデザインの低迷期を経て、大胆なデザインがようやく例外的存在ではなくなったことだった。イメージづくりのために経営陣が勝手に決めたコンセプトカーが1台出ておしまい、という時代は終わったのである。新しいシリーズが登場、あるいはモデルチェンジがおこなわれるたびに、デザイン上の総合的なコンセプトがはっきりとわかるようになってきた。そして、そのコンセプトが、ブランドの個性となっていったのである。 多様化するニーズに応えるクルマ
自動車業界は状況を正しく判断したのである。1990 年代始め頃、市場は飽和状態で規制は増え続ける一方だった。どのメーカーも同じような技術を使い、モデルポリシーも似たようなもの。自動車メーカーは発想を転換する必要に迫られていた。そして、自動車という製品の本質を考え抜くことによって、驚くべき方向転換を成し遂げたのだ。ここで興味深いのは、ブランド価値の定義からモデル戦略、エンジニアリング、デザイン、あらゆる媒体を通じた統一的なブランド構築にいたるまで、成功に至る連鎖の全体において、デザインが重要な役割を果たしたことである。
「市場志向のデザイン」という考え方が基礎となって、人々のさまざまなニーズに応えるクルマが初めて市場に投入され、成功を収めることになった。ポルシェ 911 モデルの「弟分」として発売されたポルシェ・ボクスターによって、ポルシェブランドを初めて購入する顧客の平均年齢は 47 歳から 42 歳に下がった。メルセデスAクラスによって、メルセデス・ベンツ・ブランドに女性というターゲットグループが加わった。VW ビートルは、世界でいちばん重要な自動車市場であるアメリカで、VW のブランドイメージを新たな、いまだかつて未踏のレベルへと高めた。 画期的デザインによるイメージチェンジ
この時期に、もっとも印象的なイメージチェンジに成功したのがアウディである。アウディのターゲットグループは、いまや 15 年前とは全く異なる。数十年にわたってアウディの顧客イメージとして定着していた「帽子をかぶった男」、つまりあか抜けない年配の男性というイメージに代わって、スタイルや斬新さにこだわり、自己実現を求めて努力するという新しい顧客イメージが登場した。「技術による先進」というキャッチコピーは、長きにわたってアウディブランドの技術力の高さを強調するものだったが、一方でデザインという点では不満の残るところが多かった。しかしこの時期、技術レベルと同様に先端的でラディカルなデザインが実現した。A8 やコンパクトカー A3 といったマイルストーンとも言えるモデル、流れるようなエレガンスを持つ A6、円形の要素のみで構成されたラディカルな TT。これらのモデルをスタンダードとすることで、アウディはドイツ国内でのブランドイメージを完全にひっくり返し、世界をも驚嘆させたのである。この時期のアウディのデザインを統括していたのは、ペーター・シュライヤーである。2003年、シュライヤーがドイツのデザインにもたらした功績に対し、ドイツ連邦共和国デザイン賞が授与された。シュライヤーがこのドイツの公的なデザイン賞を受賞したのは、画期的な出来事であった。というのは、ドイツのデザイン界では、自動車のデザインは長い間スタイリングの問題と見なされてきたからである。バウハウスやウルム大学が担ってきたドイツデザインの理論原則からは、はるかに遠いところにあるもの、それが自動車デザインだと考えられてきたのだ。 偶像的イメージとの決別
しかし、ドイツのプレミアムブランド、アウディや BMW、メルセデス・ベンツ、ポルシェのデザインは、今でもドイツのデザインと言えるのだろうか。フォルクスワーゲンでは、チーフデザイナーがイタリア人のウォルター・ダ・シルバになって久しい。BMW ではアメリカ人のクリストファー・バングルがチーフデザイナーを務めているし、メルセデス・ベンツのデザイナーは世界で約 600人。出身地の異なるデザイナーの多彩なデザインセンスが相互に混じり合っている。それでも、ドイツ車のデザインは他国のライバル車のデザインとは異なっている。もしかすると、ドイツ特有の要素は、ここ数年でようやく見えるようになってきたのかもしれない。ドイツ車のデザインは、長い時間をかけて偶像的イメージと決別してきたのだ。たとえば VW ビートルはそういう偶像的イメージをもつ車だった。VW バス(タイプ2)も、F. A. ポルシェによるポルシェ 911 も、クラウス・ルーテによる RO 8 0も、VW ゴルフも。これらのクルマはみな、ユニークだった。しかしそれは、これらのクルマが作り出した新しいジャンルが、進化の過程をたどって到達するような種類のものではなかったからだ。これらのクルマが体現したのは、どれもがそれ自体、革命そのものだったのだ。 コーポレート・デザインとしての自動車デザイン
デザインは、自動車業界、そして経済全体にとっても、ますます重要な経済的要素になっている。ドイツでは、7人に1人の雇用が直接間接に自動車産業に依存している。これはつまり、7人に1人の仕事がデザインに依存しているということだ。こうした状況のなかで、自動車デザインは今やどの企業でも、統一的なコーポレート・デザインとして定義されている。ポルシェは、ボクスター、カイエン、カイマン、そして近く発売予定の5ドアのパナメーラを、フラッグシップモデル、911 カレラのクローンのように見せることで成功を収めた。BMW は2001 年に7シリーズで導入した表情豊かに変化する凹凸のラインを、いまやすべてのモデルに適用している。メルセデス・ベンツに特徴的なラジエータグリルのエレガンスは、今日では 20 を超えるすべてのモデルに復活している。
だから、ドイツのデザイン界が自動車業界のデザイナーを仲間として受け入れたのはいわば当然のことだ。ドイツのデザインは、総合的な環境デザインであることを自らに課す。そして今日、自動車業界はブランドデザインを通じて、それを他のどの産業分野よりも明確に実践してみせている。親会社ゼネラルモータースの経営危機のあおりを受けて市場からの退場の危機に瀕しているオペルのオペル・インシグニアが、このタイミングで「カー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたのは皮肉といってもいい。そもそも初めて同賞を受賞するオペルは、ドイツにおけるアメリカ主導のブランドとして、他のプレミアムカーが成し遂げた一連のイメージチェンジプロセスには加わってこなかった。このインシグニアのデザインで初めて、オペルブランドの潜在能力が姿をあらわしたのだ。状況が今後どのように展開するにしろ、デザインに関してはオペルにまだまだ期待したいところである。このオペルの例が示すように、現在の危機はデザインの危機ではない。原因は別のところにある。だが市場志向のデザインがなければ、ドイツの7人に1人の雇用は、危ういどころでは済まなくなるだろう。 アンドレイ・クペッツ
ドイツ・デザイン協議会議長。 ツォルフェライン・スクール・オブ・マネージメント学長。専門部長。 デザイン誌『デザイン・リポート』『フォルム』などにも執筆している。 翻訳:磯部和子 Copyright: Goethe-Institut e.V., Online-Redaktion 2008年12月 |














