光、明かり、そして色 若手芸術家

ハリス・エパミノンダ
ハリス・エパミノンダ | 写真:David von Becker

ドイツで開催される賞「若手アーティストのための国立美術館賞」。それは才能ある若手アーティストを取り上げて賞を与えるもの。そして、そこで感じられるのはドイツの現代アートの未来の姿。

ドイツの現代アートの未来を捉えるにはうってつけの展示がある。それはベルリンのハンブルガーバンホフ現代美術館で開催されている展示「若手アーティストのための国立美術館賞」だ。この展示は同名の賞にノミネートされたアーティストを紹介するもの。賞は現在隔年で開催されており、40歳未満のドイツで作品制作を行うアーティストを対象としている。2000年から始められた新しい賞ではあるが、僅か7回の開催で多くの重要なアーティストを世に送り出してきた。今まで候補者として選ばれたのはOlafur Eliasson、Katharina Grosse、John Bockといった世界的に活躍するアーティストたち。こうした候補者の名前からもわかるように、本賞は才能あるアーティストをいち早く見つけ出し、世界的なアートの舞台へと導くものとなっている。

今回、賞の候補者に選ばれたのは、ドイツ人のKerstin Brätsch、メキシコ人のMariana Castillo Deball、ニュージーランド人のSimon Denny、そしてキプロス人のHaris Epaminondaの4名。ドイツ出身は1名だけで、他はドイツへと移り住んだアーティストであるため、ドイツで開催される賞と思えない国際色豊かな顔ぶれとなっている。また彼らが見せる作品は絵画や映像、そしてインスタレーションなどで、作品のジャンルも多様なもの。こうした候補者や作品から、賞の基準となる年齢や制作拠点以外に共通点を見つけるのは簡単でないだろう。では本賞からどのようなドイツの現代アートの未来が見出せるのだろうか。美術館に展示された候補者の作品を紹介しながら、それについて考えていくことにしよう。

絵画の可能性、Kerstin Brätsch

1979年生まれのKerstin Brätsch、彼女はニューヨークとベルリンを制作拠点としているアーティストだ。彼女が本展で見せたのは絵画を中心とした様々な作品。展示室の壁には平面作品が並ぶ。巨大な紙に描かれた作品はいずれも抽象的なものばかり。例えば、一枚の作品には規則的な筆致で、黄、黒、紫などの色が塗られている。規則的なパターンで覆われた作品に見えるのは不規則に混じり合った色。作品には規則性と不規則性の奇妙なコントラストが生まれている。また絵画作品以外に展示室に置かれているのは丸い形のガラス板。濃い色を中心に外側へと色が薄まってゆくガラス板は美しい色のグラデーションを見せている。他にもプロジェクターを使って写真を写し出すなど多彩な作品が並び、一人のアーティストのものとは思えないだろう。

このように多彩に見える彼女の作品だが、そこには光が一貫して登場している。光を使って写真を映し出すプロジェクター、そして光を通過させ、その存在を気付かせるガラスなどはその例に挙げられるだろう。また光とは直接的な繋がりが無いように見える絵画でさえ、工事現場用の照明器具を使って強烈な光で照らし出されている。このような彼女の作品に見られる光への意識は、絵画と光の強い繋がりに集約されていると言えるだろう。光は近代絵画の印象派の画家たちによって効果的に用いられるようになったが、そもそも絵画の色彩は光の反射であり、つまり光は絵画の重要な要素と言える。こうした光と関連する彼女の作品で感じられるのは、絵画でないものにある絵画的な要素。つまり彼女は絵画の可能性を様々なものから探り出そうとしているのだ。

多層的なアイデンティー、Mariana Castillo Deball

アーティスト自身のバックグラウンドを感じさせる作品を見せたのはMariana Castillo Deball。1975年生まれの彼女は出身地であるメキシコの歴史を伝える展示を行った。展示室に入ると見えるのは床一面に広がる黒色の板。それは木版画の原版のようになっており、図が彫り込まれている。その図とは現在のメキシコシティーにあたるアステカ帝国の都市「テノチティトラン」の地図。16世紀にアステカ帝国を制圧したエルナン・コルテスが母国スペインへと送った地図だという。そんな地図の上にはメキシコで使われる極彩色のカーニバルの衣装が並ぶ。それはスペインで使用されるコスチュームを模倣したもの。このように展示室にはメキシコの歴史と文化を伝えるものが置かれ、異国的な雰囲気を醸し出していた。

一見すると彼女の作品はスペインに植民地化されたメキシコの歴史を伝えているように見える。植民地化を進めたヨーロッパと植民地化された南米諸国という構図を思い起こさせ、世界の力関係を感じさせる。だが、負の歴史や世界の権力構造のみを見せるわけではない。占領者からもたらされたカーニバルの衣装は、同時に本来メキシコにあった文化も写し出す。コスチュームの胸の部分に取り込まれているのは先住者であるインディオのシンボル。スペインの文化とメキシコ本来の文化が結びつき、今までにない新しいものが生まれている。このように彼女の作品は、現在のメキシコの文化がいかに形作られたかを気付かせてくれるだろう。そこでは歴史を否定的に眺めるのではなく、様々な側面からの読み取りを可能にしてくれるのだ。

メディア社会の姿、Simon Denny

今回の候補者で最年少のアーティストは1982年生まれのSimon Denny。彼は現在のメディア社会を反映させるような作品を展示している。展示室で見られるのは同じ形をした無数のパネル。壁に取り付けられたパネルが隙間無く並べられているため、展示室を歩くと無数のパネルが次々と目に飛び込んでくる。そんなパネルの掲載されているのはミュンヘンで毎年開催されるITやメディアに携わる会社の発表「Digital-Life-Design-Conference」の様子。例えば、一枚のパネルにはインターネット上でコミュニケーションを取り扱うソーシャルメディアの代表的会社「facebook」の発表の様子がプリントされている。そこには登壇者の発言や発表の際の写真が掲載されているため、鑑賞者はその様子を簡単に掴み取ることができるだろう。

こうした彼の作品で感じられるのはメディアを取り扱う企業の姿やその考え。展示会場に並ぶのは、パネルに情報として記載された、情報社会を牽引する人々や会社の姿だ。その活動を記録した膨大の情報が、コンパクトに展示室の中に集められているのを見ると、表層的で何か実体が無いようにさえ思えてくる。だが、空虚に見えるのは作品に登場する会社に限らない。生活の隅々まで浸透しているインターネットに代表されるように、データや情報に頼る現代社会の姿にも当てはめる事ができるだろう。つまり、ここではある種の虚像である現代社会を感じることにもなる。こうして彼の展示では私たちが生きる現代社会の姿に向き合わされるのだ。

「コラージュ」としてのイメージの連想、Haris Epaminonda

展示室を最も一変させていたのは1980年生まれのHaris Epaminonda。彼女は展示室内に入り組んだ空間を作り、そこに作品を展示した。展示室内に展示されているのはシンプルな形のオブジェ、そして石や本など。展示された本のページには小説の場面と思われる風景が載せられている。他には細い鉄柱で作られた枠型のオブジェなど脈絡の無い組み合わせのものが並ぶ。入り組んだ空間を奥に進むと、見えるのは4本の映像だ。一つの映像に映るのは白塗りの人物。一方別の映像には丘を登る神官らしき人物の姿が見える。どれも物語の一部のように見えるが、いずれも明確な物語を語ることはない。それどころか映像は脈絡もなく別の風景へと変り、見る者を惑わせ、そして同時にその不思議な世界に惹き付ける。

彼女の作品で強く意識されるのは、作品が「コラージュ」として機能すること。本のページやオブジェはそれぞれのイメージや物語を打ち出しながら混じり合っている。同じく展示室に流されている映像も「コラージュ」的なものと言えるだろう。なぜなら、どの映像にも同じような風景が登場し、その繋がりを連想させてくれるからだ。また展示室では隣り合って映像が流されるために、横で映される別の映像に偶発的な繋がりをもたらす。ここにあるのは脈絡のないイメージの集まりや様々な物語の断片。見る者は知らずにそれらを繋ぎ合わせて、様々な物語を感じることになるだろう。そして展示室にあるバラバラなものが生み出す不思議な共鳴に身を委ねることになるのだ。

「若手アーティストのための国立美術館賞」によって見出せるもの 

今回このような候補者の中から「若手アーティストのための国立美術館賞」にはMariana Castillo Deballが選出された。ただし彼女の作品が多くの注目を集める素晴らしいものとはいえ、ドイツの現代アートの未来が彼女の作品だけに象徴されることはないだろう。なぜなら他の候補者の作品が彼女の作品と比べて劣るわけではないからだ。また賞の歴史を振り返ると、賞に選出されたアーティストだけでなく、賞の候補者だったアーティストたちも世界的に活躍していることがわかる。このことから、候補者として選ばれたアーティストたちがドイツの現代アートの未来を反映していると言えるだろう。だからこそ、候補者の作品から何が見出せるかを考えなくてはならない。

こうした今回の4名の候補者から見出せるのは何なのだろうか。候補者の作品が伝える内容は、絵画の可能性、多層的なアイデンティーの見方、メディア社会の姿、そして「コラージュ」としてのイメージの連想などと多岐に渡っている。また冒頭に述べたように、候補者の国籍や作品のジャンルにも一つの定まった方向性は見られない。そんな中で見出せるのは、表現の内容に縛られないこと、国籍に縛られないこと、作品のジャンルに縛られないこと。それは一言で言えば、多様性を認めることと言えるだろう。つまり、ドイツの現代アートの未来を一つの方向に定めずに多様な方向性で方向付けることなのだ。

世界各国には国を代表するような現代アートを支援する賞がある。だが「若手アーティストのための国立美術館賞」のように、年齢制限を設けて若手アーティストの支援に専念するところは多くはない。だからこそ、本賞は若手アーティストの支援のために、ドイツの現代アートの未来を感じさせるために、新しい表現、つまり今までに無い表現を見つけようとしているのだ。そこで本賞は多様性を持ち込むことで多くの可能性を盛り込み、新しい表現を可能とさせる。つまり、ここで見られるのは未来の姿と未来を生み出す方法。それは不確かな未来を予測するだけではなく、確かな未来を作り出すことでもあるのだ。それゆえ本賞は世界的に活躍するアーティストたちを見つけ出すことができた。そしてこれからも重要なアーティストたちを発見していくに違いない。