抒情詩の楽しみ 苦手意識を捨てて

抒情詩の楽しみ‐苦手意識を捨てて
抒情詩の楽しみ‐苦手意識を捨てて | 写真:flickr (加工したもの)/ CC BY SA 2.0

「ガニュメート」という詩で、ゲーテはガニュメートの「自然のふところ」に抱かれたいという憧れを描いている… こうして何世代にもわたって、ドイツ語教師は、「この箇所で作者が言おうとしていることは何ですか」、「この詩全体では何を述べているのですか」という質問で、生徒たちを骨の髄までうんざりさせてきた。

どんな韻律が使われているか見付けようと、考え考え詩を読んでいると、生徒たちは頭が痛くなる。語群を抜き書きして「行わたり」を正しく指摘できると、生徒たちは嬉しくなる。学校では、文学史上重要な詩をこのように絶え間なく解釈させられるが、抒情詩を楽しむには、こんな勉強は余り役に立たない。

そもそも文学の第三のジャンル「抒情詩」は、他の二つのジャンル「叙事詩」や「戯曲」と、少なくとも同じくらい面白いものだ。もうずっと以前から、抒情詩は、古典的な特徴や形式に制約されなくなっている。押韻形式を厳格に守る時代は、とっくに過ぎた。現代の抒情詩は、内容も形式も、カットガラスのように様々な光を見せる。もちろん依然として、古典的な抒情詩の構造に則って詩を書こうとする詩人もいる。しかしドイツの若い詩人の多くは、かつてないほど自由に多面的に、抒情詩を書く。例えばノーラ・ボッソンの政治的な詩。「精神状態」という古典的な抒情詩のモティーフを、現代的に、低俗にならないように描き出すダニエラ・ゼール。あるいは非常に絵画的なイェフゲニー・ブライガーの連作詩。現代のドイツ抒情詩は、多様性に恵まれている。

「なんだ、抒情詩か!」または「禁じられた文学ジャンル」

とはいえ抒情詩は、依然として、三つの文学ジャンルの中で一番人気がない。この恐らく最も濃密な文学形式に近づく勇気を持つ人は少ない。抒情詩には、良くないイメージが付き纏っているようだ。いまだに、少数の知的エリートだけが近づき、理解できるものだと思われている。たまに手に取ってみる読者も、詩の言葉の密度の高さ、多義性、規範から外れた言葉使いに怖気づいてしまう。知識が足りないという思い込みから、読者は詩に触れることを不自然なまでに恐れ、これが詩と読者の間に壁となって立ちはだかる。読む前から、作者の意図は分からないし、まして詩の形式など分かるわけがないと考えていたら、どうして詩を読むことができるだろうか。

抒情詩を読むとき大切なのは、そんなことではない。作者の意図を問うことは、芸術の意味を問うことと同様、とっくに時代遅れだ。無理強いされた詩の解釈を続ける苦行は止めて、読者は、ひたすら詩を楽しむことを覚えるべきだ。 理想的な場合、抒情詩は音楽と美術の交わるところに在る。朗読すれば言葉がメロディーとなり、同時に心の眼には絵が見えてくる。それだけでも、抒情詩は読む価値がある。抒情詩ほど、読者の五感を楽しませてくれる文学ジャンルはない。また抒情詩には一つの正しい読み方があるのではなく、様々なレベルの捉え方があり、そこから読者が自分に合うものを探すことができるし、探して構わないのである。ある人の解釈が別の人の解釈と異なっていても、それはどちらかが間違っているということではない。

歌が、背景にそっと流れていても、聞き手にとって重要な意味を持つものであっていてもいいように、詩も、穏やかな楽しみであっても、読み手にとってより深い意味を持つようになってもいい。美術も同じだ。一枚の絵画は、見る人が「ああ、きれいな色!」と思うだけで通り過ぎてもいいし、すっかり夢中になって歴史や作者や調べたり、作品の背景について興味を持ったりするようになっても構わない。

自分で考えるための自由な空間

今日のドイツの抒情詩人の多くが、読者に特に望むこととして、「一人ひとりが詩への個人的なアプローチを見つけること」と述べている。詩が作者自身のことを描いている場合でも、詩の中には必ず、読者の感性や見方を反映している要素があるはずだ。無駄をそぎ落とし、密度が高い言葉が使われていても、抒情詩ほど、自己投影の可能性、イマジネーションの自由な空間、そして解釈する様々なきっかけを与えてくれる文学形式はない。

抒情詩では、正しいか間違っているか、知識があるかないかは重要ではない。重要なのは、じっくり考える喜びを育て、自立して考えを深める力を与えることだ。 ゲーテの言う「自然のふところ」が、当時流行していた汎神論的世界観と神々の父であるゼウスの隠喩であったことは、詩の歴史的背景から知ることができる。しかしこの言葉が現代の状況の中で何を意味するかは、読者それぞれが自分で決めなければならない。我々はそろそろ、抒情詩は思考を遊ばせる場所であると考えるようになるべきだ。そしてその遊び場で、ブランコから落とされたり、砂場でプラスチックのシャベルで叩かれたりすることを怖がるのは、もう止めた方がいい。