ブリクサ・バーゲルト 操作なき音楽はもっと自由

Blixa Bargeld und Teho Teardo
© RABSCH

ある全国紙のインタヴューでブリクサ・バーゲルトは「ほかの人たちは金持ちになるが、ぼくは伝説となる」と語ったことがある。これは、ブリクサ・バーゲルトの破壊力たっぷりで斬新な音楽を総括するにぴったりの言だ。というのはブリクサとバンドのステージも曲も組織の手法も、比類なきものだからである。

まず偶然が、限度も規制も整理もない完璧な自由をアーティストに委ねる新しい音楽の形態を生み出す。異例の録音場所、楽器を使わない音楽制作、常に湧きあがってくる創作衝動といったものだけでなく、なんといっても即興をブリクサは自分の限界を超えて非凡な曲をつくるのために投入する。

音楽家にして俳優、物書き、作曲家であるブリクサは、自分の地平を広げようと別のアーティストとのコラボをやるのだが、テオ・テアルドとのアルバムは、非操作性という点で、こうした共作の好例である。ここでは異色のサウンド、テキスト、作業法、舞台装置がふたりの組み合わせによりプログレッシヴな総体と化すのだ。非メインストリーム、非順応、ほかのアーティストのやるようなことはしないブリクサは常に己の道を進み、偶然、制限や前提条件の不在、無限の展開の可能性を使いこなしてきたし、それが音楽に反映される自由なのである

ブリクサ・バーゲルトは、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのフロントマンとして有名になったが、これは1980年むしろ偶然から結成されたバンドである。ベルリンのあるクラブで歌うことになったブリクサが、一緒に演奏しもらおうと「何人かの友だち」にたまたま電話をしたことが発端となり、そのままバンドとして存続することになったのだ。最初のうちグループはひどい金欠状態だったので、クズ鉄や日用品を楽器に転用、黙示録的世界を思わせる音楽をやるようになった。メロディカルなのに抽象的にして叙事的でノイズに満ちている、というのがアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの音楽を形容するのにぴったりする表現だろう。特定のジャンルに分類不可能なのもこのバンドの特徴だし、その多様な行動にしても同様である。

ディー・テートリッヒェ・ドーリスとの協力のほかにも、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンは自分たちのオフィシャル・バイオグラフィー本を発表し、シアター・プロジェクトに参加し、インタレーションの一部ともなった。石井聰互がアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの映画『半分人間』を撮ったのは1986年のことだったが、これがDVDで発売されたのは2005年になってからのことだ。2002年以降、ノイバウテンはレコード会社の力をまったく借りず活動をつづけ、ファンやサポーターが支援するインターネット・クラウドファンディングで新しいアルバムを制作している。この点でも、ブリクサ・バーゲルトはまったく別の手法をとっているが、これがまたうまくいっているのだ。ブリクサは別のプロジェクトにも参加し、ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズはニック・ケイヴ、ミック・ハーヴィー、そしてブリクサ・バーゲルトに中心に1983年に結成されたもので、アルバムを15枚も出してきたこのバンドは、かなり多作だと言っていいだろう。グループの国際的ブレイク作となったのは1996年の『Murder Ballads』である。このアルバムに収録されたカイリー・ミノーグとのデュエット『Where the Wild Roses Grow』は世界的ヒットと化し、バンドは一躍広く知られるようになり、彼らの曲が映画などに使われるきっかけとなった。ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズもジャンル分けが難しく、評論家やジャーナリストのあいだで、ゴス、ダーク・カルチャー、インディーズ、ダーク・ウェイヴのどこに分類するのかで論争が絶えない。だが一番いいのは、そんなジャンル分けなどいっさい気にせず、先入観なく音楽を聴いてその世界に入り込むことだし、それがブリクサ・バーゲルトの意に沿ったことでもあるだろう。

今年もブリクサは新しい境地を開拓し、2016年7月ドイツのラッパー、カスパーとのシングルをリリース、両者のファンを熱狂させた。このシングルは、しばらく鳴りを潜めていたカルト・ラッパーのカスパーにとってカムバックだったし、ブリクサが音楽の垣根やジャンルとは無縁である存在であることを如実に示した作品でもある。すばらしいことだ。また聴くに値する刺激的な新しい曲を体験できることになったのだ。ブリクサが今後どんなプロジェクトでどんなことをやっていくのか今から興味津々でわくわくしている。