マーシャ・クレラ 繊細さと行動力のはざまで

Masha Qrella
© Hubert Grygielewicz

柔らかい声とメランコリックな歌詞でマーシャ・クレラはベルリンの音楽シーンに確たる自分の立ち位置を築き上げた -そして、20年が経つ今もシーンを歩み続ける。

マーシャ・クレラ、本名もMascha Kurellaだが、アーティストネームはMasha Qrellaの表記にししている。1997年、サックス担当としてMina Drugstore (後のMina) というバンドに参加するが、後にキーボード担当に変更する。2002年のアルバム《Luck》でソロ・デビューを果たすまでは、並行してContrivaというバンドでも活動していた。《Luck》はシンセサイザーととアコースティック・ギターが混ざり合いマーシャ・クレラ独特のサウンドを生み出している。
 
新しい技術を取り入れるなど、年月の流れと共に常に変化し続けながらも、独自のスタイル、独自のサウンドを守り続けるクレラ。5枚目のアルバム《Keys》(2006) でも、路上などで集められた雑音が、静かなメロディーとつむぎ合わせられていく。居場所のなさ、やるせなさ、傷つきやすさなどを歌った歌詞は、クレラの柔らかな歌声にのって耳に届く。

パンクとポップス、シンセサイザー音楽

そのような歌詞にもかかわらず、マーシャ・クレラの人生からはメランコリーな無気力は感じられない。まるで、常に片足を次のプロジェクトに踏み入れているようだ: 演劇作品を手掛け、映画音楽を作曲し、朗読パフォーマンスを演出し、ついでにミュージシャン仲間と新しいバンド・プロジェクトを組んでしまう。アルバム《Luck》(2002年) のアートワークを手掛けたユリア・クリーマンとはポップス・デュオBandaranaik (90年代に初めてふたりが出会ったスリランカの空港の名前) を結成、昔のバンド仲間ノーマン・ニッチェと、漫画家でドラム奏者のクリスチャン・ファーナーとは、パンクバンドNMFarner を組んでいる。
 


 
しかしながら、精一杯がんばって成功を掴もうとしているというほど、肩に力が入っている風でもない。アメリカの人気ドラマ、グレイズ・アナトミーが、彼女の楽曲2曲を採用したのも、偶然に過ぎなかったが、このことは彼女の名を一夜にして世界中に知らしめることとなった。ターゲスシュピーゲル紙のインタビューによると、この成功によるロイヤリティーは、2年間は暮らせるほどのものであったという。しかし2年間遊んで暮らす代わりに、いつも片足を突っ込んでいる次のプロジェクトに進むのがクレラの生き方だ。5枚目のスタジオ・アルバム《Keys》リリースに伴う日本ツアーは、ゲーテ・インスティトゥートの協力を得て、今春7都市を巡る。