Berlinale-Blogger 2017 創作するという行為と若者のフラストレーションを描く―吉田光希監督インタビュー

『三つの光』
『三つの光』 | © Berlinale 2017

三つの要素が一つになり、オーロラは光る。吉田光希監督の『三つの光』には、何者かになろうとする前に、現在の自分さえ把握しきれない若者たちの自己表現の苦しさが滲み出る。

俺たち、光が強すぎるじゃん。弱い奴、耐えられないんじゃないの。K(池田良)のこの台詞は創作活動への誇りと同時に、その身を苛む行き場のない焦燥感を表現している。誰もいない倉庫の中で楽曲制作を続けるマサキ(鈴木士)、自宅でピアノ演奏を自ら撮影し、動画サイトにアップし続けるアオイ(小宮一葉)、主婦のミチコ(真木恵未)。4人がやがて出会い、小さな居場所をみつけて創作活動を試みる今作『三つの光』。吉田光希監督がワークショップを通じて選んだ役者に、あて書きで台詞を書いた意欲作である。22時からの初上映には多くの観客が詰めかけた。全体的に観客の年齢層は高めであった。
 
4人が試みた創作活動は、小さなきっかけで不協和音となり、やがて瓦解する。創作活動に携わる者であれば、「あるある……」と頷きたくなるシーンが多かったのは、役者それぞれの人間的な本質を汲み取った吉田監督が、自らの経験に照らしてキャラクターをリアルに作り上げることに成功したからであろう。上映後登壇した役者陣は一様に緊張した面持ちであった。彼らは大きなスクリーンで完成した作品を鑑賞するのは初めてだったという。特にベルリン国際映画祭で登壇するのが夢であったと語った小宮一葉は始終俯きがちに立っていて、アオイ役は彼女の本質を強く反映しているのではないかと思わせた。観客が特に大きく反応したのは、アオイが元婚約者とその彼を奪った女性とカフェで対面するシーンだった。自己表現を試みる手段が無数にある現代では、多くの若者が何者かになろうともがく。その様は切実で滑稽で、身につまされる。
 
吉田光希監督インタビュー

老舗劇場アーセナルでの上映を翌日に控えた吉田監督はわくわくした様子だった。この歴史ある映画館には特に映画好きが集まるのだという。
心地よい緊張を楽しんでいる様子の監督は、快くインタビューに応じてくれた。
 
吉田光希監督 吉田光希監督 | © 長田紫乃 Q 初上映を終えての感想をお聞かせください。緊張はされましたか?
―デジタルだと予想できないトラブルが起こり得るので、まずそういう事故がなければいいなと上映前は思っていました。(上映後質疑応答で)どのような質問がくるか、わからなかったので、そういう意味では緊張しました。上映前、自分で発した言葉はきちんと話せるようにしとこうと思って、ホテルで、プレスシートの原稿をペンでノートに書いて、写経のように。それで上映を迎えました。

Q ベルリン2度目ですね。前回と違いは感じますか。
―映画祭の規模が縮小したような印象が最初はあった。6年前はフォーラム部門もドイツ語の字幕があった。ここ2,3年は英語字幕だけ。そういったところに少し変化を感じました。

Q 観客の反応は?
―よかったと思います。海外の映画祭は途中で出ていくことが当たり前に起きる。覚悟の上だったので、観客が多く残って、深夜1時くらいまで質疑応答が続いたのは、すごく嬉しかったですね。

Q ワークショップを通じてキャスティングしていますが、なぜ彼らなのか?
―脚本ができていない状態で俳優を選ぶという、順番としては普通とは違うのだけれど。自分が誰と一緒にやりたいのかというのを探す試みだった。
この形式に拘っているわけではなく、自分が面白がれる企画があれば映画にしたいと思っています。

Q Kというキャラクターについて。自分の中にもいると感じる?
―人間だれしも一側面ではないと思うんです。何かにイラついたり怒りを感じたりというのは誰しもあると思う。そこで誰かと向き合うことを避けてしまうと関係がそのままになってしまう。それよりは、私とあなたは違うのだと理解したうえで、どう向き合えるかというほうが、素敵かなと。

Q 創作活動を途中で断念せざるを得ないシーン。監督の自らの経験からそういうシーンができている?
―やはり、誰かが悪かった、うまく振る舞わなかったと思ったりするんですよね、誰かのせいにしたり、けれども一方で相手も僕が原因だと思っているかもしれないじゃないですか。必ずしも何かに原因があるわけじゃない、相手をどう理解して一緒に共同作業ができるかというのが、やっぱりモノづくりの根本にある関係なんじゃないかなと思ってます。
 

Q 作中に様々な創作活動に関する言葉がでてきます。どういうところから集めましたか。
―俳優自身から。こういうシーンがあるって設定して、実際Twitterを取得して撮影前から呟き始めさせました。本人が零れ落ちる、演じるだけでなく、その人の中にあるものをちゃんと映せるのが、その人にしかできない役と言うことになると思っているので。だから、俳優が持っている身体能力、特技を最初に聞いて、例えばテニスと聞いて、近所で壁打ちしているおじさんとかいたなって。壁打ちって自問自答にも思えてくるし、それを延々と続けるのは、いいなって。そういう風に相手の持っている能力に肉付けしていって、キャラクターがどんどん膨らんでいった感じですね。

Q 創作行為のエゴイズムをどのように捉えますか?
―作り手の確信がないものは表に出すべきではないと思いますが、それがエゴイズムなのかもしれないし、言い方を変えればそれが表現の強さに繋がると思っています。映画は共同作業なので。絶対的才能のある監督はそれを前面に出して撮っていきますが、僕はどちらかというと指揮者のような立ち位置。縁があって作品に力を貸してくれる人たちの力をどうしたら一番作品に発揮できるかなと言うことを考えてます。それと自分のやりたいことのバランス感覚を失わないようにしていますけれども。今後もエピソードを提示する映画よりも、そこにいる人たちの内面、何を考えてそこに立っているのか描けるような作品を作っていきたいと思っています。