マ・ジョンヨン
ボイス「以後」の教育

文:マ・ジョンヨン

「これは私の最も重要な役割だ。教師であることは、私の最高の芸術作品である。残りは廃棄物、あるいはデモンストレーションだ。人は自分自身について説明する時、何か目に見えるものを提示する必要がある。しかししばらくすると、この目に見えるものは歴史的資料としての機能しか持たなくなる。私にとって、モノはもはや重要ではない。私は物事の起源、その背後にある思想に迫りたいのだ。思考、スピーチ、コミュニケーション。それらは、社会主義の言葉の意味においてだけではなく、すべての自由な人間の表現なのだ」。

これは、ヨーゼフ・ボイスが1969年の「アートフォーラム」誌のインタビュー[1]で、ウィロビー・シャープに教えることについて質問された時の答えからの引用である。当時彼はすでに、デュッセルドルフ美術アカデミーで8年ほど教えていた。その後1972年に、彼は教授職を解任された。ボイスは翌年、ハインリヒ・ベルと「創造性と学際的研究のための自由国際大学」設立のマニフェストを発表した。

beuys on/offの教育プログラムは、2人の共同アソシエイト、私とチェ・テユンが監修している。さらに韓国在住のプログラミング・アソシエイト、シン・ジェミンと、3人のゲストアソシエイト、キルギスタンのグリナラ・カスマリエワ、ムラトベック・ジュマリエフ、カザフスタンのアイゲリム・カパールと協力し、このプログラムに取り組んでいる。私は現代美術とメディアの研究者であり、日本の大学で教鞭をとっている。私たちは現在、2021年7月から9月にかけて実施されるオンラインセミナー「アンラーニング・サマースクール」の準備中である。

『Joseph Beuys and the Artistic Education: Theory and Practice of an Artistic Art Education』(Leiden、Brill、2020年)の著者、カール=ペーター・ブッシュキューレに、このプロジェクトに歴史的、教育的文脈を与えるような記事を依頼し、ウェブサイト最初の投稿記事とした。1月21日に開催された非公式のセミナーで、ブッシュキューレは自身の経験と研究をbeuys on/offのメンバーと共有した。1957年生まれの彼は、ボイスのスタジオを訪れて進行中のディスカッションに参加したり、アカデミー近くの路上でボイスと出くわす機会があった世代だ。ボイスは、デュッセルドルフ近郊に住むこの世代のアーティストや研究者の周りにいていつでも会える、身近な存在であったと聞いて私は驚いた。ブッシュキューレは博士論文「Warm-Time―Art as Pedagogy in the Work of Joseph Beuys」の準備中にボイスの家にも招待されていたのだが、残念なことにボイスが1986年1月23日に心臓発作で亡くなったため、この招待が実現することはなかった。

セミナーでブッシュキューレが強調したのは、「コミュニケーションとは学習プロセスである」という、ボイスの教育についての基本概念だった。話す人が教師で、彼/彼女の話を聞くその他の人々は生徒。そして次の段階では、自然にこの立場が入れ替わるのだ。ブッシュキューレは、この学習プロセスを「流動的コミュニケーション」と呼んだが、これは「アンラーニング・サマースクール」の重要な使命の1つとしても理解できる。私たちは、アンラーニングを「制度的な抑圧や、知識生産が行われる官僚的制度において形式化されてきた暴力に抵抗する方法」であると定義している。したがって、学習プロセスが学術界のヒエラルキーや、教育についての決まりきった考えから参加者を解放する場合、それもまた「アンラーニング」のプロセスなのだ。

序章タイトルは、ガート・ビースタの著書『Letting Art Teach: Art Education ‘After’ Joseph Beuys』に由来している。ボイスのパフォーマンス作品《How to explain pictures to a dead hare(死んだウサギに絵を説明する方法)》(1965年)を教育の舞台とし、ビースタは、芸術とは「世界と対話するとはどういうことか」、あるいは「自分自身と現実とを調和させ、世界でくつろごうとするとはどういうことか」[2]を解明しようする、絶え間ない挑戦であると主張する。この観点から見ると私たちの活動は、芸術分野で相互教育を行い、ユーラシアと東アジアの4つの異なるコミュニティの橋渡しをし、多様な教育実践を共有するものであると言えるだろう。

ボイスの言葉に触発され、現代を生きる私たち自身の現実から「アンラーニング・サマースクール」を開始する。「もはや偉大なアーティストを育てる、というアカデミックなコンセプトから始めることはできない―それは常に幸福な偶然だから。私たちが始められるのは、芸術もしくは芸術から得られる経験が、人生に回帰する要素を形づくるという考えからなのだ」[3] 。この考えを批判的に解釈し、私たちは「アンラーニング」を始めようと思う。
 


[1] Sharp, W. (1969). Interview as quoted in Energy Plan for the Western man – Joseph Beuys in America, compiled by Carin Kuoni, New York: Four Walls Eight Windows, 1993, p. 85.

[2] Gert Biesta, Letting Art Teach: Art Education ‘After’ Joseph Beuys, Arnhem: ArtEZ Press, 2017, p.118

[3] Caroline Tisdall, Joseph Beuys, New York: The Solomon R. Guggenheim Museum, 1979, p.265