チェ・テユン
アンラーニング

文:チェ・テユン

2000年代半ばから、私は大学、美術館、NPO団体などで教鞭をとってきた。2010年代初めのオキュパイ運動―とりわけ学生ローン危機と、高等教育の新自由主義的民営化に対抗するための組織化と抗議運動―に深く心を動かされ、2013年、ニューヨークにアーティストの運営によるアートとテクノロジーの学校、スクール・フォー・ポエティック・コンピューティング(SFPC)を共同設立した。

SFPCは当初から透明性ある運営を目指し、財務とカリキュラムの詳細を公開していた。私たちのスクールは、非営利モデルに基づいて運営される、小さな営利団体であると考えていた。そして良心的な学費で教育を提供すること、教師に公正な報酬を与えることに努めた。このスクールはすぐに、アーティスト、エンジニア、アクティビストが集うコミュニティの拠点となった。

しかし認知度が向上する一方で、スクールは不適切な管理と配慮不足に悩まされた。昨年、COVID-19による非常事態と、黒人解放のための抗議活動が再燃した期間に、私を含む SFPCの中心的な運営者は、スクールの教師たちから一連の内部声明とslackチャンネルにより「人種差別、特にスクール内の反黒人主義」、「労働者のケアと信頼を搾取するパターン」について説明を求められた。私は初期リーダチームにおける唯一の非白人として、また多様性と包摂に向けた取り組みの主導者として、黒人学生にトークン化されている(お飾り的に扱われている)と感じさせる結果となった失敗の数々には、特に失望した。

このような批判を受けることは苦痛であったが、同時に必要不可欠なことでもあった。数多くの人の実体験と、私たちが実践したいと望んでいた価値観が対立していたことに気付き、深く謙虚な気持ちになった。2020年8月、教師と卒業生から構成されるグループがスクールの「世話人」となった。6ヶ月間、この世話人グループと内部改革に向け協働した後、自らの過ちの責任を取り、また次世代リーダーのためのスペースを作るため、私はリーダーのポジションを退いた。そして2021年3月、私は前運営者を代表し、コミュニティに向けた公開書簡を発表した。

昨年は厳しい1年となった。しかしこの必然的な報いが、過失に先立ちあるいは過失と共にあった、SFPCでの意義ある肯定的な結果を消し去ってしまう訳ではない。卒業生は、たびたびSFPCで過ごした時間のおかげで人生が良い方向に変わったと話し、多くが素晴らしいプロジェクトや自分たちのためのコミュニティを創造し続けている。私自身も、このスクールで過ごした時間に多くの素晴らしい人々に出会えたことに感謝している。新しい世話人たちのリーダーシップのもとで迎えられる未来に、期待している。
チェ・テユン、《Walking chair》、壁面ドローイング、ソウル・メディアシティ・​ビエンナーレ2016 チェ・テユン、《Walking chair》、壁面ドローイング、ソウル・メディアシティ・​ビエンナーレ2016 | 過去10年間の私の教育実践は放物線をたどっている。つまり、学術機関に抗議し、オルタナティブな教育機関を設立し、その機関を運営し、そして最終的には自分自身が抗議の対象となる、というアーチを描いているのだ。このような抗議の両端を経験したことで、私は今、資本主義であり人種差別主義である社会構造内の、意図的な危害と、意図的でない危害の区別について考えている。意図的な危害は、私が危害を加えようとする時に与えられるものだが、意図的でない危害は、危害を加えたいと思っていないのに、それでも影響が感じられるものだ。自らの体験により、過去の自分が持っていた自信―その自信は確かで、私は何が正しいのかを知っていた―に疑問を抱くようになり、善悪に対する考えも改めた。もはや、衝突について完全な二項対立で考えることはない。かつてはそのような考えを頭ごなしに否定していたが、今では文脈、さらにはニュアンスの位置づけ、そしてそれらが真の説明責任を果たすことができているかどうかについても考えるようにしている。

私は、自分自身と資本主義、白人至上主義との共犯関係を甘受していた。最初は身構え、誤解されていると感じ、それから修復の努力が失敗して希望を失い、落胆した。最も暗い夜が来たと感じた時、元同僚がクリスタ・ティペットの引用を口にした。

― Krista Tippett, Becoming Wise Deluxe: An Inquiry into the Mystery and Art of Living 

「あなたの意見に反対することはできても、結局のところ、経験に反対することはできない。あなたの経験を一度掴み取ってしまえば、あなたと私は関係を結び、お互いの立場の複雑さを認識し、それほど身構えずに耳を傾けることができる。お互いの意見の違いはおそらくそのまま残るが、それはもはや、私たちの間に何が可能かを定義しない」。(クリスタ・ティペット、『Becoming Wise Deluxe: An Inquiry into the Mystery and Art of Living』)

「私たちの間に何が可能なのか」という一節に惹きつけられる。この言葉に希望を感じる。私は、アンラーニングを「どのように学ぶのか、何を学ぶのか」を問うことだと定義しており、それは内的成長と、自発的に(アン)ラーニングする人からなるコミュニティを形成することを中心に据えたプロセスなのである。アンラーニングとは、「私たちの間に何が可能なのか」を探求することなのだ。現実的なレベルでは、自分の教室やスタジオ内で、自らの能力の範囲内で修復を始めることにも焦点を置いている。私は、自身の実践において謙虚であることが重要なのであり、心に決めた全てのことを達成できる訳ではないことにも気づいた。私はもはや、自分自身やコラボレーターに対し、非現実的な期待を設定したくはない。反黒人、人種差別、性差別、障がい者差別、階級差別のシステムが存在する限り、どんな仕事も決して「十分」にはなりえない。それでも、この「十分」という概念そのものを問い直さなければならない。私たちは、挑戦し続ける。
チェ・テユン、《A chair placed on a desk》、壁面ドローイング、ソウル・メディアシティ・​ビエンナーレ2016 チェ・テユン、《A chair placed on a desk》、壁面ドローイング、ソウル・メディアシティ・​ビエンナーレ2016 | 私は、アーティストであるヨーゼフ・ボイスを「教育」というレンズを通して解釈するためにbeuys on/offプロジェクトに招待された。ゲーテインスティトゥート東京が主導するこのプロジェクトでは、ユーラシアのコミュニティとの繋がりを構築することを目指している。私は以前からボイスの重要性や美学については知っていたが、今になって、彼の倫理の複雑さを発見しつつある。現代​​の文脈において、単なる賞賛から、彼の実践を積極的かつ生産的に「アンラーニング」することに移行し、ボイスの神話をどう扱うことができるのかを問うている。

「アンラーニング・サマースクール」への私の提案は、日本、カザフスタン、キルギスタン、そして近隣の様々な地域の教育者や実践者に「学ぶことと、学んだことを意識的に忘れること」についての会話に参加してもらうことだ。マ・ジョンヨンは、プログラムアソシエイトのシン・ジェミンと同様、beuys on/off プロジェクトにおける私の主要なコラボレーターである。そしてグリナラ・カスマリエワ、ムラトベック・ジュマリエフ、サルタン・ムスタカーン、アイゲリム・ カパールをコラボレーターとして招待した。これらのコラボレーターは教育プログラムの過程で、さらに地域から数人のコラボレーターを招待するだろう。不確定の部分も多く残っているが、距離や文化の違いを超え、実践者の間に真の繋がりが生まれることを期待している。

私は、慎重にbeuys on/offプロジェクトに取り組むようにしている。トークン化という失敗を繰り返さないようにしたいのだ。新しいコミュニティに入るとき、複数の権力格差が交差する見え方を検証する必要がある。私はヨーロッパの制度的特権を持つアメリカ人アーティストであり、すべては大きな影響力を持つ20世紀の西洋人アーティストを賞賛するプロジェクトという名のもとに実施され、私が必ずしも招待されていないコミュニティやスペースに加わっている。つまり、私が加わるすべての話し合いは、「文化交流」という名のもとでの文化的盗用の危険をはらんでおり、非常に慎重に扱う必要があるのだ。

ここ数か月、私はソウルの素晴らしいチームと協働している。最近私が進めたすべてのプロジェクトにおいて、このチームが投入してくれた労力、配慮、創造性を評価することは重要だ。チェ・スヒョンは、プロジェクトのコンセプト作りに貢献し、膨大な文章を生み出し、さまざまなワークショップを円滑に進めた。シン・ジェミンは、数えきれない雑務をこなし、連絡を管理した。イレティ・アキンリナーデ、ヨ・イェナ、アン・イェセオムは、創造的かつ技術的な専門知識を提供してくれた。彼女たちの援助と寛大さなしでは、どのプロジェクトを実現することもできなかっただろう。ここでは、アンラーニングのいくつかの試みを提示する。
チェ・テユン、《Unlearning, Drawing for Interweaving Poetic Code》、CHAT(Centre for Heritage, Arts & Textile)、2021年 チェ・テユン、《Unlearning, Drawing for Interweaving Poetic Code》、CHAT(Centre for Heritage, Arts & Textile)、2021年 | 構造的変革のため実践

パウロ・フレイレは、『Pedagogy of the Oppressed』の中で、実践とは「世界を変革するための内省と行動」であると定義している(フレイレ、52貢)。韓国におけるさまざまな種類の人種差別主義、人種差別についてよりよく理解するため、私たちは「クリエイティブな反人種差別」ワークショップを開催した。このワークショップでは、2020年10月から11月にわたり3回のセッションを行った。そして自分たちの機関において、偏見を克服すること、差別的慣行を回避し、対処することについて話した。イジョーマ・オルオの著書『So You Want to Talk About Race』も読んだ。ワークショップの議論から出てきたいくつかのアイデアは、私がHOMEWORK上に書いた、なぜBlack Lives Matter運動が東アジアの人々にも関係があるのか​​についてのエッセイの中にまとめている。ワークショップ・プロデューサーのチェ・スヒョンは、価値や方針をもたらし、またスペースを円滑に運営する方法を確立する手段としての、「コミュニティ協定」について話をした。このような合意は危害を軽減するためのツールとなり、合意をどのように伝え、実践するかについての共通理解を生み出すことができる。さらに、周縁化された身体を中心とする政治に対する、私たちの基本的な責任を明確にした。また最終的に包括性や配慮の指針を作成するため、ワークショップの場を利用して白人至上主義が私たちの精神や制度にどのように現れているのかを確認する話し合いにも取り組んだ。倫理的な教育者、芸術家であるためには、自身の内にある人種差別をアンラーンし、私たちの周りに存在する人種差別のさまざまな形態を認識するよう努めなければならない。参加者が、ワークショップで得た経験をそれぞれの教育や実践に取り入れていることを知り、私たちはとりわけ満足している。ワークショップ参加者の1人で現在はアメリカとメキシコで活動するダンスの教授、チェ・ジーン・イェは、「ダンススペースにおけるコミュニティ協定とは?」というテキストを書いた。ジーン・イェのような努力は、学術界を真に構造的に変革していくための教育実践の始まりであると信じている。

「デザイン」としてインクルーシブであること

2018年の秋以降、私たちは香港のCHAT(Centre for Heritage, Arts and Textile)とともに、「Interweaving Poetic Code」と題した展覧会とプログラムに取り組んでいる。CHAT チーフキュレーターの高橋瑞木、CHATチーム、私のスタジオのチームメンバーとともに、私はアートディレクターとして関わっている。私たちは、心光盲人院曁学校の生徒を対象に、基本的なHTMLに焦点を置き、ASCII記号を使用したデザインを作る「詩的コーディング」ワークショップを開催した。ASCIIのデザインをニット製品として出力することで、生徒たちは手で触れて学習を体験することができる。創造的な実践を通じて、障がい者コミュニティの自己決定を支援することができるという確信のもと、弱視の学生と関わるようにした。COVID-19により、障がい者コミュニティがその前から直面していたアクセス、孤立、脆弱性などの(ただしこれだけではない)多くの問題が悪化した。同時に、子どもたちの教育を受ける機会も失われた。このような状況で、心光盲人院曁学校の生徒たちのような学生への教育活動を優先して実行することは、これまで以上に重要に感じられる。このプロジェクトの一環としてチェ・スヒョンは、アメリカにおける障がい者のための正義と、韓国の障がい者運動についての研究資料を作成した。CHATチームのチョン・カルメンは、私たちにアクセシビリティのためのより良い実践についてのリソースを提供してくれた。障がいを持たないファシリテーターとして、配慮と敬意を持って生徒に接することができるよう、必要な内部作業を行うことは私たちの責任であった。障がい者差別をアンラーンするという実践は、障がいのある学生と彼らの現在地で会うための基礎となり、相互に尊重し合える学習環境を確立するのに役立った。 

自発的学習をモデリングすること
「Interweaving Poetic Code」展会場内には、「アンラーニング・スペース」がある。分権的、互恵的、相互依存的な関係を持つキノコに触発されて、鑑賞者がこのスペースを使い、そこで行われるワークショップやプログラムに参加し、さまざまな工芸品、テキスタイル、テクノロジーを用いて何か自分自身のものを作るよう、呼びかけている。私たちは、キノコの菌糸ネットワークのように、栄養の流れに富んだ環境を提供したいと考えている。それはアンラーニングの創造的なスペースが、新たに何かを作るための実験的なスペースとしても機能するようなあり方を補完するものだ。この目的のため、展示会とプログラム全体のキュレーションを通じて私たち自身の実践をモデル化すると同時に、人々にも、それぞれのつくることのモデルを共同制作するよう呼びかけているのだ。

最後の注記

私たちの教育学は私たちの基礎となり、また私たちの価値観に疑問を呈する。ここでの実践とは、行動する教育であり、実験としての教育である。そして最終的に招待状としての教育となる―他者が使い、これまでのものをリミックスし、改造することが歓迎されるモデルだ。こうした贈り物や種を、どのように知識と知恵の庭へと育むことができるだろうか? こうした贈り物があなた、そしてこれらを共有するすべての皆さんの役に立つことを願っている。私もあなたと一緒に実践し、形にし、学び、アンラーンすることを続けていく。

執筆を手伝ってくれたチェ・スヒョン、「サマースクールオブラーニング」のマ・ジョンヨンとシン・ジェミン、このエッセイの編集をしてくれたマヤ・ウェストに感謝します。

引用

Tippett, Krista. “Becoming Wise Quotes by Krista Tippett.” Goodreads. Goodreads. Accessed April 14, 2021.  

Choi, YeaJean. What are Your Community Agreements in Dance Spaces? 춤이 공존하는 공간에서 공동체 협약이란? February 24, 2021.

Paulo Freiere, “Pedagogy of the Oppressed,” in Pedagogy of the Oppressed (Penguin Education, 1972), p. 52