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パフォーマンス・アーティスト、振付家
松根充和
観客の固定観念や思い込みをかわし、違う視点を提示していく

『スイカヘルメット(子供時代のアイデアを再現する)』(2016)
『スイカヘルメット(子供時代のアイデアを再現する)』(2016) | © 松根充和

松根充和(パフォーマンス・アーティスト、振付家)インタビュー

インタビュアー 山口真樹子(ゲーテ・インスティトゥート東京)

ロックダウンのウィーン

山口 長年にわたりウィーンでアーティストとして活動している松根充和さんの作品は、テーマは様々ですが常にユーモアと同時に批判性を帯びています。2020年のウィーン芸術週間で上演予定でしたが、コロナ・パンデミックにより2021年に初演が延期された新作『Mitsouko & Mitsuko』も含めて、いろいろ伺いたく思います。ウィーンはロックダウンの中、アーティストはどうしていますか。

松根 オーストリア政府がフリーランスのアーティストへの支援策を出しています。申請すれば、普段の収入にもよりますが70%まで支援される。2021年の3月まで、収入のない月に支援が出ます。でもドイツ語がわからないと大変かもしれません。アーティストは実は恵まれていて、逆に中華料理屋さんとか、僕がよくいく散髪屋さんは中国人で、きいてみたら申請なんて難しいからしてないよと言ってました。アーティストは普段から申請作業に慣れてる分だけ、まだましかもしれません。

A scene from "All Together” (2018) A scene from "All Together” (2018) | © Maximillian Pramatarov

アジアの研修生と生活をともにした経験

山口 松根さんはいつヨーロッパにいらしたのですか。

松根 ずっと日本以外の文化をみたいと思っていて、高校を卒業した時にヨーロッパにわたりました。子供だった頃、僕の家が東南アジアからの研修生を受け入れるホストファミリーだったんです。12歳の時に、ニーランさんというネパールから来た人が1年間僕たちの家に滞在しました。そのあと毎年、スリランカやインドネシアなど南アジアや東南アジアの国の研修生が来て、半年から1年間僕たちの家で暮らしました。研修生はアジアの発展をサポートするNGOに招かれて、日本で農業や漁業の研修を受けていました。思い返すと、その人たちと接したことが自分にとても大きな影響を与えたと感じます。研修生たちと接して、異なる文化にすごく興味を持つようになりました。15歳のときに、ニーランさんを訪ねてネパールに行ったんです。そのときの異文化体験が自分にとってはすごく大きく、高校卒業したら異文化の中に行こうと思っていました。高校は英語科のある公立校に通いました。

山口 行先をヨーロッパにしたのはなぜですか。

松根 研修生を日本に招いていたNGOの人々はアジアと関わっていたので、アジアに行くか、アメリカかヨーロッパか、と考えました。ヨーロッパにしたのはシュタイナー教育を見に行こうと思ったからです。シュタイナーなどオルタナティブ教育全般に興味があったんです。将来は学校の先生になるのかなと考えてました。今思えばというところですが、両親の興味にも影響されていますね。両親は自然食品の小さな会社をつくり、自然食品がスーパーマーケットに浸透する前から、宅配をやっていたんです。

山口 なるほど。シュタイナー教育についても当然ご存知ですよね。

松根 アートにも興味がありました。でも何をすればよいのかはわかっていませんでした。高校卒業後デンマークのシュタイナー系の学校の芸術コースに入りました。

山口 英語とデンマーク語の環境ですか?

松根 そうですね。東南アジアの研修生たちとの経験から、外国の人たちと話をするのが楽しい。違う文化の人たちと会って話したい、彼らのことを知りたいという気持ちが強くありました。今なお、その感覚を持ち続けていると思います。

山口 それはアーティストとしての原点となっていますか?

松根 今振り返れば、という感じですが。近年の作品では、子供の時の経験や意識を、意図的に取り入れているところがあります。

山口 それはどうしてでしょう。


舞台作品と舞台以外で上演する作品を交互に作る

A scene from “What The Hell” (2017) A scene from “What The Hell” (2017) | © Bernhard Müller 松根 自分がやっと大人になってきたからかな(笑)。ずっと舞台作品と舞台以外で上演する作品を、交互に作ってきた感じですが、近年の舞台作品のひとつが『All Together』(2018)といいます。僕含めて3人のパフォーマーが、それぞれの人生に何かの形で関わった人たちの話をする作品です。舞台の後ろに名前が映し出されます。たとえば「MAYA」とでると、それは僕の妹で、僕が妹について話します。次に他の名前が出て、それは僕たちのうち誰かの知り合い。家族だったり、友達だったり、昔の先生だったり。次々に名前が出て、その人の話をするという作品なんですが、実は名前が出てくる人たちは何らかの理由でこの作品を観に来られない人達なんです。僕の妹は遠い神戸にいて赤ちゃんがいるから来られない。他には子供時代の親友とか、昔の恋人とか、死んでしまった人とか。劇場とは人々が集まって何かについて考える場所ですが、この作品では、まさに今ここに集まれない人たちについて考えることになります。

A scene from “Homesick Festival” (2017) featuring Thomas Geiger’s “Livingroom Demonstration” I © Elsa Okazaki A scene from “Homesick Festival” (2017) featuring Thomas Geiger’s “Livingroom Demonstration” I © Elsa Okazaki 山口 これまでの人生を振り返りながら作る作品ですね。他にもそのような作品はありますか。

松根 ヨーロッパに住んでいるとホームシックになることがあるかとよく聞かれるんですけど、いつも、ならないと答えてきました。でも5年くらい前に僕の両親が亡くなった頃から、ホームシックというテーマと直に向き合おうと考えました。そして、個人の家にいってパフォーマンスをする『ホームシック・フェスティバル』(2017-)というプロジェクトを立ち上げました。ウィーンをはじめ、デュッセルドルフとザグレブでも、その都市のアーティストたちに参加してもらって行いました。予約を入れてくれた人の家にアーティスト二人組で訪ねて行っておこなうパフォーマンスです。家に呼んでくれた人が、さらに友人などを招いて、その人たちが観客になります。

山口 訪れた家の状況をみて、それにこたえる形のパフォーマンスですか?

松根 ある程度即興はありますが、パフォーマンスの形を作り上げてから、その場に行きます。劇場ではないので皆でテーブルを囲んでやることもあります。呼んでくれた人の家が舞台装置になる感じですね。個人の家には、そこにどのくらい住んでいるかとか、どこから来たかとか、その人の経緯や時間が現在形で凝縮されています。その家の状況がパフォーマンスに浸透したり、パフォーマンスがその人の家に反応して溶け込んでいく感じです。また、その人の生き方や、そこに集まった人たちとの人間関係が反映されるような状況がとても興味深いです。印象的だったのは自分の母親が80歳の誕生日だからきてくれ、というものでした。おばあちゃんの家に集まった、子供や孫たちに囲まれてパフォーマンスをしました。

山口 舞台としての作品と、舞台ではないところで行う作品を交互に作っておられるということでした。

松根 両方の良さが対比されるので、自分にとっては刺激的です。山口さんにも相当昔にみていただいたパフォーマンスを売るお店の作品『store』(2005-2013)を作る以前は、コンテンポラリーダンスの作品にダンサーとして参加していました。僕のダンサー時代ですね。シュタイナーのオイリュトミーからコンテンポラリーダンスに移って、その後ウィーンなどで他の振付家の元でダンサーとして活動していた時期が7、8年くらいあります。


新作『Mitsouko & Mitsuko』について

山口 ウィーンの街は立派で重く、歴史を感じます。

松根 まだハプスブルク時代の建物も残っていますしね。戦争で壊されても、以前のように復元しています。ドイツは戦後近代的な建物を建てましたが、オーストリアは修復・復元したんです。ハプスブルク家の繁栄の名残を惜しんでいるところがあります。第一印象として古い街とおもわれるかもしれませんが、もう少し知ると、新しいものを取り入れているのがよくわかると思います。伝統的なオペラ座やクラシック音楽がしっかりと存在しているからこそ、逆に同時代的な新しいものが対立項として存在しています。

今制作している『Mitsouko & Mitsuko』(2021年8月、ウィーン芸術週間にて世界初演予定)という作品で、ウィーンの1910年代から30年代の劇場のことを調べていますが、当時すごく実験的なことをやっていたことがわかります。例えば、女性が男性役を演じることがあり、パリではサラ・ベルナールが、ウィーンではイダ・ローランという舞台女優がそうで、ナポレオンなど男性役を演じていたようです。今写真をみると宝塚っぽいです(笑)。当時のフェミニズムに関わっていた人ですが完全に忘れられています。

山口 掘り起こす甲斐がありますね。

松根 そうなんです。イダ・ローランについては、この作品のストーリーで重要なリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの配偶者だったと知って調べ始めました。『Mitsouko & Mitsuko』は、ベルリン・チューリヒ在住の美術キュレーターの根来美和さんと一緒に始めたプロジェクトで、日本・世界の近代化の時代の話です。個人が世界情勢にどのように翻弄されたのか、が大きなテーマです。

山口 どういう作品なのか、差し支えない範囲で教えてください。

松根 フランス・ゲラン社の香水にMitsouko というのがありますが、これがどうして日本人女性の名前が付けられているのかを調べ始めて、どんどん広がっていきました。オーストリア・ハンガリー帝国の貴族と結婚した光子・クーデンホーフ=カレルギーが香水のモデルになっていると伝えられたりしていますが、本当はそうではないんです。光子・クーデンホーフ=カレルギーは次男のリヒャルトが、EUの構想の元になった本を書き、その考え方を育み提唱した人です。EUの形成に日本人の息子が関わっていたことはヨーロッパではあまり知られていません。

この光子とは別に、当時フランスで書かれたエキゾチック小説に、ミツコという名のヒロインが出てきます。日露戦争を背景に、着物をやめて洋服を着るようになった時代の日本人像を描いている小説で、伝統と近代化のはざまでの自己のアイデンティティの確立が裏のテーマとしてあります。

Elsa Okazaki Image for “Mitsouko & Mitsuko” (2021) Elsa Okazaki Image for “Mitsouko & Mitsuko” (2021) | © Michikazu Matsune 当時ジャポニズムが流行し、日本は愛好する対象で、特に日本の美術工芸品や日本人の女性に対してその熱意が向けられていた。着物を着ている女性もそうです。クリシェやステレオタイプな見方ですが、勘違いによるヨーロッパ人からみた日本人女性像がそこにあります。1900年パリ万博で川上貞奴の舞台が一世を風靡したのですが、そこに西洋の男性中心的な眼差しがうかがえます。一方でヴィクトリア時代のコルセットを経て、シャネルもそうですが、腰をしめつけないストンとした服装が当時の女性解放運動の象徴となり広がっていきました。そこに着物も関わっているんです。

また、ジャポニズムによる日本愛好に対して、当時の黄禍論も取り上げています。東アジア人が世界を征服するのではと恐れる考え方が、人種差別となって欧米で発展していきました。米国、特に西海岸では、ゴールドラッシュや奴隷制度の廃止を背景に中国や日本からの安い労働力が流入していた。黄禍論というアジア人差別が広がっていった時代、早川雪洲という俳優がハリウッドに来て、悪役アジア人を演じて大ヒットになります。禁断の愛人などの役も演じ、白人女性たちの間で大変な人気を博します。白人男性にとっては、世界を征服し、自分たちの女性も奪う恐るべし東洋人という役で大当りしたわけです。実際に、米国では異人種間の恋愛が法律で禁止されていた時代です。現代の視点から見ると、滑稽ですらある設定ですよね。でも当時の社会情勢ではこういう話が説得力を持って受け入れられた。『Mitsouko & Mitsuko』では、現実と架空の世界が交差しながら進んでいく歴史を描いています。


作品のコンセプトとタイトル

山口 香水ひとつからたしかに広がっていきますね。2016年には松根さんの作品『踊れ!入国したければ』が京都国際舞台芸術祭に招かれました。

A scene from “Dance, if you want to enter my country!” (2015) A scene from “Dance, if you want to enter my country!” (2015) | © Michikazu Matsune 松根 数年前、これからどういう方向に行くのかを悩んだことがあって、さっきの話に戻りますが、やっぱり僕は自分自身の経験を見つめ直そうと思ったんです。そんな時、僕の出身地である神戸で、美術作家の榎忠さんとトークする企画がありました。榎忠さんは1970年代にハプニング的なパフォーマンスをしていて、以前からその活動に感服していました。『半刈り』といって、全身の体毛を左右半分だけ切り落として、「ハンガリー」にいくというナンセンスなパフォーマンスをした人です。神戸でも家が近くて、すごく親近感を感じていた。トークのために帰国するおり、たまたまパスポートの有効期限が切れていたのですが、僕は自分の眉毛をそってその毛を口の上にひげとしてノリでつけて証明写真を撮り、ウィーンの日本大使館にいってその写真でパスポートを取得しました。榎忠へのオマージュです。このパスポートの話は、『踊れ!入国したければ』(2015年初演)の作品の一部になっています。

山口  タイトルがいつも凝っているなと思ってます。ユーモアがあります。

松根 僕はもともと、コンセプチュアルな手法とタイトルの関係にこだわっています。タイトルに何を込めるか、が自分にとっては遊びであり、また作品の重要な一部です。そこから喚起されるものと、実際の作品とのギャップも含めていろいろ考えています。『踊れ!入国したければ』は、黒人のダンサーがイスラエルの空港で踊ることを強要された実話に基づいています。アブドゥル=ラヒーム・ジャクソンというアメリカ人ダンサーが話の中の主役です。ニューヨークのアルヴィン・エイリー・ダンスカンパニーの一員で、一団と共にテルアビブのオペラ座で公演するための入国でした。イスラム系の名前だったために、別室に連れて行かれ、厳しい入国審査を受けました。そこでダンサーという職業を証明するために、実際に踊ることを強制されたのです。僕とは文化的背景や属性も違う人の話です。その文脈や身体性の相違、人種などのカテゴリーで捉えられることの問題点を本作で扱っています。彼らがイスラエルのテルアビブ・オペラ座でも踊った、黒人の歴史に言及しているダンスを僕が躍ります。実は、オーストリアやドイツでこの作品を発表するのは、かなりきわどいなと思いました。ホロコーストの歴史があるので、ドイツ語圏においてイスラエルで起こったことを批判的に扱うのはある種のタブー。綱渡りする感じで作り上げたと思っています。この作品すごく好評で、香港や南アフリカでも公演しました。


ヨーロッパで生活し創作すること

山口 個人の経験を大事にして作品を作り発表するわけですが、住んでいる場所も観客もウィーンでありヨーロッパですね。自分が日本人であることを意識されますか?

松根 常に意識させられる、という言い方が一番合っていると思います。自分から意識するのではなく、周りの状況が意識するよう強制してきます。それはヨーロッパに住み始めてきたころからずっと感じていて、今も感じます。そのことに対しては僕としては遊び心を持って取り組んでいます。日本人だから、という考え方をすること自体が僕の中ではボツなんです。もちろん僕が日本人という属性に当てはめられている事実はあり、それを認めつつも、国やステレオタイプの枠組みを越えたところでどう考え何を作るか、が重要だと思っています。今回『Mitsouko & Mitsuko』では日本人の登場人物を扱うわけで、その意味では初の試みです。今ここにきて、なるべくしてなったといいますか。以前に『踊れ!入国したければ』を手がけたからこそ、今、日本人というキャラクターを扱ってみたいなと思いました。一方で、西洋・日本の狭間で生み出された二人の「ミツコ」という女性のイメージを自分が手掛けるのは、すごくチャレンジングです。日本人女性と男性では、見られ方や固定観念が違うんです。

山口 期待や思い込みをいい意味で裏切り、既存の枠との間のギャップを扱っておられます。ギャップというのがキーワードですね。

松根 『Mitsouko & Mitsuko』も『踊れ!入国したければ』も、歴史の話をそのまま伝えるのではなく、僕個人の話として消化しながら作品にしていくことが大事だと考えています。観客の思い込みや期待を、僕がどのようにかわし、違う視点を提示していくかが自分にとっては重要な部分です。先方の勝手な思い込みや偏見をビンタしていきたい(笑)。

山口 そのビンタも、怒りやフラストレーションが込められているのではなくて、ユーモアたっぷりで軽やかにひょいと越えていく感じがして、そこがすごいなあと思います。

松根 『Mitsouko & Mitsuko』も『踊れ!入国したければ』も、社会が作り出したトラウマに関する作品でもあると思います。しかしトラウマをトラウマとしてみせるのではなく、どちらかというと真剣に笑いながらそこを乗り越えたい。


国際協働とモビリティについて

山口 これまでは、モビリティがとにかく重要で、多くの人が行き来して、その場に実際に身体を運んで観て聴いて話すことで相互の理解が深まり、作品を作ったりネットワークを築くことができると考えていました。コロナ・パンデミックのなかでモビリティ自体が果てしなく低下している今、オンラインでもコミュニケーションはとれますが、お互いよく知っている人だとそれまでの積み重ねがあるのでなんとかなりますが、新しい出会いが難しくなってきたと思います。国際文化交流をミッションとしてきた機関にとっては非常に重い課題です。そこでアーティストのお考えをききたいのですが、松根さんは今、交流や協働について考えていることはありますか。

松根 いっぱいあります!モビリティについては僕の中でもすごく大きなテーマです。今は国境で動けなくなっているけれど、また動けるようになることを切に望んでいます。パンデミックの件もそうですが、国境を強化すれば問題を解決できるという見解には同意できません。

ヨーロッパでも、モビリティをポリティカル・コレクトネス的にどう処理するか、が議論されています。オンライン・リハーサルが崇拝されたりしていますが、全然違うと思います。個人レベルでも劇場規模でも、リアルミーティングの必要があると僕は考えています。飛行機での移動も問題視されていますが、飛行機に乗る人が悪いと考えるのも論点がずれている。技術的には環境への負荷がより少ない飛行機を作ることはすでに可能なのに、航空機業界はボーイングとエアバスの二社独占状態で、全世界的にロビー活動を展開し政治に食い込み、ガソリンを大量に消費する飛行機を飛ばしています。石油業界もこれに関わっています。裏にある大きな政治を見過ごして、アーティストはもう飛行機にのるべきではないとは、議論が的を得ていないと思っています。もちろん今飛んでいる飛行機が悪いのは明らかなので、それは改善するべきです。車も電気にかえればエコでOKという方向になんとなくいっていますが実際にそうなのか。フランスはじめヨーロッパ諸国でも、電力そのものが原子力によって生産されているところも多々ある。その辺の事実も考慮した上で、どう改善していけばいいのかを考えていくべきではないでしょうか。

モビリティの課題はありますが、やはり実際に人と会うことが重要だと思います。それを否定されると、自分の全人生が否定されているようなものです(笑)。今のように英語ができる人、英語をうまく操れる人が勝つかのような世界は間違っていると思います。それはアジアからの研修生がホームステイしていた時、子供だった僕たちと一緒に遊んだり、食事したりしていた。言葉は通じなくても、意志は通じる。それが文化交流の基礎だと思っています。

山口 オンラインだと得られる情報量がいずれにしても限定されますね。

松根 オンラインの画面に写らないものを意識していきたい。言語で語りきれないところに耳を傾けたい。このインタビューもオンラインですが、また実際に会ってお話しできるといいですね。

山口 楽しみにしています。


インタビューは2020年11月16日オンラインにて行われました。

校正協力:根来 美和