ヨーゼフ・ボイスがインターネット時代を生きていたら?

ゲーテ・インスティトゥート東京が主催するbeuys on/off は、ヨーゼフ・ボイスの生誕100周年を記念する学際的なアートプロジェクトです。20世紀後半で最も影響力があり、さまざまな議論を巻き起こしたアーティストのひとりであるボイスは、第二次世界大戦にドイツ軍の通信兵として従軍、戦後にアーティストとしてのキャリアをスタートさせました。ボイスは戦後の冷戦を背景に、拡張された芸術概念を掲げ、教育、環境、経済や政治の問題に積極的に関与しました。

高橋瑞木(アーティスティック・ディレクター)

1984年、ボイスは玄武岩とペアにされた樫の木をドイツのカッセル市街に植樹する「7000本の樫の木」のプロジェクトへのサポートと交換に、東京の西武美術館での個展のために来日を果たしました。東京での8日間の滞在期間中、ボイスは個展の設営の他に、レクチャーや学生との対話集会、盟友であるナム・ジュン・パイクとのパフォーマンスを開催し、日本の観客に強いインパクトを残しました。ボイスは生涯を通して東西の文化が融合するユーラシアの想像的な概念に強い興味を示していましたが、残念ながら生前ボイスが訪れたアジアは日本だけでした。

ボイスの来日から30年以上が経った今、beuys on/off はユーラシアからボイスへの応答を試みます。ユーラシアで活動するアーティスト、音楽家、アクティビスト、ライター、ドメスティックワーカーや研究者のネットワークを形成しながら、beuys on/off はボイスの多面的な活動を批評的に再解釈し、私達が現在直面している問題につなげ、オンライン、オフラインのチャンネルでボイスの芸術活動のアップデートを行います。

COVID-19のパンデミックにより、私達はコミュニティから隔絶した生活を強いられていますが、その一方でデジタルプラットフォームを通しての新しいコミュニケーションが促進されています。ヴァーチャル会議のサービスは地理的な制限を超えて人々をつなぎ、情報やイベントへのアクセスも簡便になりつつあります。そこで疑問が生じます。「ボイスがインターネット時代に生きていたら何をしただろうか?」「ボイスはインターネットやワールド・ワイド・ウェブをどのように社会彫刻のアイデアに応用しただろうか?」「仮想空間で何をしただろうか?」こうした疑問がbeuys on/off着想の出発点でした。

beuys on/offのウェブサイトは複数のプロジェクトが展開されるプラットフォームで、インタビューや日誌、教育的なテキストやユーラシア各地で採集されたサウンドなどが2021年の3月から11月にかけて定期的にアップロードされるほか、シンポジウムやディスカッション、トークイベントやパフォーマンスがライブストリーミングで上演されます。すべてのコンテンツはアジア、そしてユーラシアと関係があるアソシエートからボイスへの批評的なレスポンスとして構想されています。そしてウェブ上で展開される各プログラムは協働、コミュニケーション、そして共感を基にした相互学習の性質を備えています。この点において、beuys on/off はボイスが1973年に仲間とともに設立した自由国際大学の現代的な亜種とも言えるでしょう。

beuys on/offはふたつの主要なコンテンツによって構成されています。ひとつは自由国際大学 2.0 (FIU 2.0) 、そしてサウンド・オブ・ユーラシアです。FIU 2.0では、ドミニク・チェン、須川咲子が率いるセンター・フォー・リプロダクティブ・レイバー、グルナラ・カスマリエヴァ、ムラトベク・ジュマリエフ、テユン・チョイとマ・ジョンヨンがそれぞれ「ユーラシア」「経済」「エコロジー」「教育」についてのプログラムをデザインします。キュレーター、アーティスト、情報学研究者であるドミニク・チェンは、「ユーラシア」のプログラムでアーティスト、文筆家、研究者や批評家とのインタビューを行い、またメールアートをユーラシアの協力者と制作します。須川咲子が率いるセンター・フォー・リプロダクティブ・レイバーは、ヨーロッパの帝国主義に根付いた再生産労働問題についての教材を活動家や移民労働者とともに制作、発表します。キルギスタン在住のアーティスト、そしてキュレーターでもあるグルナラ・カスマリエヴァ、ムラトベク・ジュマリエフはキルギスタンの郊外都市、イシクルで「エコ・バナキュラー」のアイデアをとりいれたオルタナティブなアートスクールの設立準備を現地の若いアーティストや学生と協働でおこない、その過程でワークショップやディスカッションを開催し、その様子を毎月ウェブサイト上で紹介します。「教育」のプログラムでは、アーティスト、教育者、そしてアクティビストでもあるテユン・チョイとメディア・アート研究者、マ・ジョンヨンが日本、韓国、キルギスタン、カザフスタンの学生とポストコロニアル、そして脱コロニアル言説を学習するサマーキャンプを企画します。彼らの議論はオンライン上で共有される予定です。サウンド・オブ・ユーラシアのプログラムでは、dj sniffがレコード盤をユーラシアで活動する音楽家に送付します。レコードには簡単なインストラクションが添付されており、レコードを受け取った音楽家はレコード盤に即興の音やオブジェを付け加え、知人や友人に渡します。見知らぬ複数の音楽家が参加したレコードは、ユーラシアでの数ヶ月間の旅を経て、日本に戻ってきたレコード盤でdj sniffは8月と9月に東京でパフォーマンスを行います。

COVID-19の世界的なパンデミック下で、 beuys on/off は即興や予期せぬハプニング、時には失敗をも受け入れながら、デジタル空間を実験的なプログラムのために活用し、想像的なネットワークをユーラシア上に築きます。数ヶ月のプログラム開催期間の後、beuys on/off は今日のユーラシアで展開されているさまざまな芸術運動のユニークなアーカイブへと成長します。
ヨーゼフ・ボイスとは?

ヨーゼフ・ボイス akg image / Guenay Ulutunçok フェルト帽、フィッシャーマンズジャケットという象徴的なユニフォームに身を包むヨーゼフ・ボイス(1921〜1986年)は、ドイツ出身の20世紀で最も重要なアーティストの一人である。事実と虚構が入り交じるボイスの身の上話は、しばしば彼の神秘的な人物像を演出してきた。芸術制作においては経験主義的なアプローチをベースとし、自身の人生経験をドローイング、ペインティング、彫刻、パフォーマンス、討論、議論、政治行動の教授活動など、有形無形の芸術様式に変換した。実在する芸術の型通りの概念を超え、ボイスは、芸術の概念を教育、社会、政治の領域へと拡大し、誰もが社会を形作ることができるという「社会彫刻」のアイデアを提唱した。この考えによると、ボイスにとって、誰もが想像力と創造性を備えたアーティストなのである。教育は彼の重要な焦点の1つであり、1973年、学際的研究のための教育プラットフォームを開くため、自由国際大学を共同設立した。さらに自然科学への深い関心からエコロジー運動に取り組み、1970年代末には緑の党の設立に協力した。ボイスは、彼の芸術キャリアを通じて、ユーラシア大陸において両極が融合する、というユートピア的ビジョンを持っており、彼のファンタジーは、ナム・ジュン・パイクとのコラボレーションを通じて度々具現化された。ボイスは、1984年に西武美術館での個展のために来日し、8日間の東京滞在中に講義や学生との議論、ナム・ジュン・パイクとのパフォーマンスを行った。しかし、ボイスのユーラシアへの情熱にも関わらず、日本はボイスが生涯で訪問した最初で最後のアジアの国であった。