輪郭を失った現実

ロシア・モスクワのマンションからの展望
モスクワ市内の団地のあるアパートの窓から。2012年6月15日 ロシアにて|写真(細部):トーマス・トゥルチェル© picture alliance /photothek | Foto (Detail): Thomas Trutschel © picture alliance /photothek

突然、何もかもが以前のようではなくなった。それがウクライナで暮らす人々、ウクライナ出身の人々の2022年2月24日以降の人生だ。全てのロシア人は立ち上がり、声を上げなければならない、とロシア人作家アリッサ・ジェニエヴァは言う。何もかもが、もう以前とは違うのだから。

アリッサ・アルカージェヴナ・ガニーエヴァ

恐怖、恥、同情、信じられないという思い。それらの際限ない渦の中での目覚めだった。私のなかに潜んでいた予想、恐れ、不安が現実のものになった。8年の間、私はこうなるだろうことを予想し、8週の間、戦争の兆しに身を硬くしていた。だがその戦争が本当に始まった時、現実は輪郭を失った。


朝が昼になり、昼が夜になる。ニュースの黒い濁流を逃れて再び浮上することは不可能のように思えた。何かを作りあげ、ちょっとしたことを計画し、この戦争以外のことを考えるのは不可能のように思えた。私の国が私の名において始めた、この血まみれの、帝国志向の侵略以外のこと、私の国を率いるあの侵略者とその手下連中の一群が、これほどまでに見事に統治し、私たちが黙認する暴力行為を働いていること以外のことを考えることは不可能に思えた。この統治は全ロシア人のせいだ。自分たちが市民ではないことを受け入れ、自分たちが政治とは関係がないことを受け入れ、どうせ自分は何の影響を及ぼすともできないということを受け入れ、自分たちの身の回りに薄汚いニュースが入ることを嫌がり、その代わりただ花に水をやったり猫を撫でたりしたがった全てのロシア人のせいだ。この沈黙する一人一人のせいで血が流れ、その一人一人が、罰せられることになる。唯々諾々と従うことをせず、ものを言い、通りに繰り出し、そのために、金につられた売国奴、田舎のキチガイと烙印を押された一人一人さえもが罰せられることになる。全員が、多数派の沈黙、幼稚さ、傍観の責任を負う。

もう戻れない

すすり泣き、叫び声、問いただす声、茫然自失、そして吐き気のするような賛同の声。そうした雑音に縁取られた新たな報道が際限なく渦を巻く中で1日が過ぎて行く。一方に底なしの怒りと恐怖、他方に野蛮な歓声。もはや抑えられない、鎮められない帝国志向が多くの人の中から這い出してくる。

私はコロナに感染し、熱を出して寝込んでいたため、通りに出て私の「ノー」を生で表現することはできなかった。だが、私の友人たち、私と親しい人たち、同じアパートの隣人たちは通りに出ていた。夜遅くまで、私は逮捕者のリストに隅から隅まで目を通し、彼らの名前を探し続けた。何人かが捕まり、かなりの数がまだ勾留中だった。それでも毎日、人々は通りに出る。毎日、戦争は人間の命を餌食にする。ニュースの数は膨れ上がり、暗闇はさらに濃くなる。しかし、希望も鬼火のようにチラチラと漂っている。闇が一番深いのは夜明け前と言うではないか?

私たちは、もう2度と以前の生活には戻れないだろう。そして未来には辛苦が待ち構えている。だが、浄化と勝利が期待できるという思いもある。国の内部と私たち自身の内部にある悪に対する勝利だ。全てのロシア人には、自らの内に巣食うこの小さな怪物の正体を暴く義務がある。そして高慢、自己陶酔、猜疑心にあふれ、排他的で、他者に対する嫉妬心に苛まれ、無限の権力と領土拡大を夢見るその怪物を窒息させるのだ。それには痛みが伴うだろう。だが他に方法はないのだ。