「引き裂かれた空:東ドイツの映画と歴史

「引き裂かれた空:東ドイツの映画と歴史 © DEFA-Stiftung & PROGRESS Film-Verleih

東ドイツの映画

東ドイツの国境が開放され、ベルリンの壁が崩壊してから来年で30年を数えます。この歴史的な出来事により1989年11月9日に東ドイツとその社会主義政策が終焉へと向かい、1990年10月3日、東西に分断されていたドイツは実に40年もの歳月を経て再び統一されました。これを皮切りにソビエト連邦が崩壊し、東ヨーロッパと中央アジアの政治に再編が起こるなど、世界政治の構造は大きな変革をむかえます。

第二次世界大戦以降のドイツの歴史は、まさに分断の歴史と言えるでしょう。ドイツは二つの国に分けられ、東側の国境付近は厳しい監視下に置かれていました。西側ではアメリカの支援を受けて市場主義経済に基づく民主主義国家としての連邦共和国が成立する一方、東側ではソビエト連邦の管理下で社会主義共和国、つまり東ドイツ(ドイツ民主共和国)が建国されました。二つの政治体制はその後長年にわたり両国の生活条件、文化、芸術活動に影響を与え続けます。東ドイツでは、芸術は社会主義思想の道具として利用され、政党や政府の管理下に置かれました。

映画ではDEFAという国営映画製作会社が設立され、話題性と芸術性の高い作品をたくさん生み出します。当時の東ドイツでは、自由な表現活動を求める芸術家たちと、それを政治目的や検閲で管理統制しようとする政府の間で常に緊張が高まっていました。DEFA作品には、そんな東ドイツ社会が抱えていた社会主義体制の理想や矛盾、葛藤、そしてそこから派生した民主化運動と東ドイツ終焉の様子が如実に映し出されています。

今回DEFA財団の協力を得て、ここ大阪でご紹介する作品は映画として価値があるだけでなく、ドイツの歴史を知る貴重な資料でもあります。上映に加えて、日本とドイツから専門家を迎えて、東ドイツの歴史的・政治的背景、並びに当時の特別な状況下での映画製作について語っていただきます。
 
DEFA(デーファ Deutsche Film-Aktiengesellschaft-ドイツ映画株式会社-)について

1945年第二次世界大戦末期ドイツが敗戦した後、西側を占領したアメリカ、イギリス、フランスの連合国はドイツで映画製作を始めるのは未だ早いと考えたが、東側を占領したソ連は異なる文化政策を行った。1945年10月末スターリンは、ソ連とドイツが共同で映画製作会社を設立する許可を与え、「フィルム・アクティブ」という作業チームを設置させた。映画産業再開の準備は順調に進み、1946年2月に戦後初の週刊ニュースDer Augenzeuge(目撃者)をベルリンで公開するに至った。同年5月4日には、ヴォルフガング・シュタウテ監督が劇映画Die Mörder sind unter uns(殺人者は我々の中にいる)の撮影を開始した。

正式なDEFAの創設は1946年5月17日、戦前ドイツ映画の黄金期を築いたUFA(ウーファUniversum-Film-Aktiengesellschaft)の関係者らが中心となり、ポツダム=バーベルスベルクの撮影所を拠点として、映画製作を本格化した。1990年の東西ドイツ統一前、DEFA社には約40名の監督、4000名を超える従業員が所属し、1992年にその歴史を閉じるまで、1000本以上の劇映画、約950本のアニメーション、3000本以上のドキュメンタリー、2500本に及ぶニュース映像を製作していた。DEFA作品のジャンル、内容の豊富さ、芸術性の高さは、まさに「壁の向こうのハリウッド」と呼ぶにふさわしい。

現在、DEFA撮影所で製作された全作品の権利は、1998年に設立されたDEFA財団が所有し、過去となった東ドイツの映像文化遺産を、国内だけでなく広く世界に紹介している。
(文責 山根恵子)
 

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