セックス「レス」
セックス・ロボット - 人間関係の終焉 ?

 LSR 2017 : THIRD INTERNATIONAL CONGRESS ON LOVE AND SEX WITH ROBOTS
LSR 2017 : THIRD INTERNATIONAL CONGRESS ON LOVE AND SEX WITH ROBOTS | © LSR2017

人工的な命を吹き込まれた人間のコピー。それが待ち望まれる背景には何があるのだろう。これは単にデジタル技術の進歩の結果に過ぎないのか、それとも社会・文化的状況が示す何らかの兆候なのだろうか?

観察可能な人間の振る舞いを本物のように模倣するマシンの能力は、ハードウェア・ソフトウェア分野の進歩によってさらに向上し、多様な分野に応用されている。「不気味の谷」から生まれたばかりの最初の技術的な機構は、私たちの日常生活の一部として受け入れられている。このような機構の能力が常に改良されていることが、その受容を容易にしているのだ。家事・介護・セックスロボットやデジタル支援機器は、現在・将来の社会において実際に仕事を引き受けていく。インテリジェント・マシンの発達は、どのような影響をもたらすのだろうか。
 
まず言えるのは、この傾向が、近代社会がもたらしたひとつの産物であるということだろう。近代の社会は、多くの場合、合理性・能率・経済という原則に基づいて作られている。重要なのは作業工程の最適化・問題解決・数値化可能な成功だ。多くの場合、個人にとっての必要性よりも経済的価値が優先される。だが、高度に技術化が進んだ環境においても、人間は人間的な親しみを求める。ソーシャル・コミュニケーション・プラットフォームとインテリジェント・マシンがシミュレーションしようとしているのは、この部分なのだ。

アフェクティブ・コンピューティングという研究領域では、感情の認識・シミュレーション・表現と並び、感情と結びついている社会的・個人的価値が研究の対象となっている。重要な認識のひとつは、すべての人が、自分自身と他者の感情を意識的に知覚するわけではないということである。自分の決断や評価に対して感情が及ぼす影響は、多くの場合限られており、あるいは過小評価されているかもしれない。意外にも、自分の感情と他の人の感情を区別することは簡単ではないことが多いのである。それについて自分で考えるのには時間がかかる。そして、その時間がないことが多いのだ。社会的・個人的価値と直接関わっているのが、人と人との関係である。これが、そもそも人間の生活において最も重要なものだ。人との関係は安心感をもたらし、自身の立ち位置を理解し、さらに成長する助けになる。

人との関係という視点、さらにはその関係の代替としてのモノが人間の同伴者となってすでに長い、ということを背景にインテリジェント・マシンの利用を分析すると、考慮すべき要素がさらに加わる。すでにピグマリオンに関する古典期の物語のなかでも描写されているように、人間は親しみと関係性を希求し、それを物質的な代替物のなかにも求めるものである。当時、人間のモノに対する関係のあり方を決めるのは、その人の想像力しかなかった。この原則は現在でも、特に、動作に制限のある人間のコピーに関しては言えることである。コピーの提供する相互作用性が増すほど、その人、つまり人間が想像する関係性は強い影響を受ける。近い将来、ハードウェア・ソフトウェアの進歩によって、インテリジェント・マシンの動きはより本物らしくなり、より価値の高い感情面での相互作用能力が備わってくると想定される。このことは、社会と個人にとって具体的に何を意味するのだろうか。
 
社会的な側面から見れば、ソーシャル・インテリジェント・マシンが私たちの日常生活の一部となり、様々な状況で私たちに同伴者として付き添う、ということは容易に想像できる。こうしたマシンの存在は、マシンが人工知能(AI)のインターフェースとなり、人間的なコミュニケーション経路を通じてAIが容易に使えるものとなるという点で、社会にとってプラスになる。個人のレベルで見れば、人間同士のつきあいには不確実性が付随するために、インテリジェント・マシンと関係を結ぶことがより好まれるという結果が生じる可能性がある。そのために不可欠な土台となるのは、適応性があり拡張可能な人間の能力が本物のように模倣され、それが個人の想像力と結びつくことだ。
人間のコミュニケーション能力の模倣は、ここ数年で飛躍的な発展を遂げた。センサー工学のさらなる進歩と、学習分析アルゴリズムによって、人間の社会的シグナルの認識は、これまでにないほどうまくできるようになっている。ただし、現在のところ考慮できるのは、シグナルの持つ多様性全体のなかのごくわずかな部分にすぎない。概して、人間のなかで起きている理解プロセスをマシンでシミュレーションするにあたっては社会的シグナルを認識するだけで十分である、という認識を前提としてはならない。この観点は、この先も長く制限要因であり続けるだろう。マシンと人間を隔てるもうひとつの特性は、複製能力と、どの人間にも内在する自律欲求である。特に後者は、幼児が自分にとって最も身近な人物との関係のなかで獲得していく安心感と、不可分に結びついている。
 
インテリジェント・マシンが人間ではなく、従って本来は人間的な親しみを与えることはできない存在である、ということは、人間にとって多かれ少なかれ常に意識されることであろう。なかには、少なくともある程度の期間であれば、こうしたマシンが提供する親しみと関係構築能力の模倣で十分満たされ、安心感を得ることができる人もいるかもしれない。この原則はすでに古代から知られていたが、今やそれは技術によって拡大しているのである。いわばガラテアver.2なのだ。