Berlinale-Blogger 2017 愛するとは何か、受け入れるとは何か。性の境界線はどこにあるのか?

Karera ga Honki de Amu toki wa | Close-Knit. Panorama. JPN 2017. von: Naoko Ogigami.
Filmstill © Naoko Ogigami | „Close-Knit“

荻上 直子の『彼らが本気で編むときは』(2017年)では、普通でない3人が孤独から抜け出す道を模索する中、新しい繋がりを文字通り編んでゆく。

静かなピアノの音と大映しの下着。象徴的に映し出されるブラジャー。散らかった部屋の中で、黙々とコンビニおにぎりを頬張る小学生の女の子トモ(柿原りん か)の姿から始まる『彼らが本気で編むときは、』は、優しい愛の物語であった。エンドロールが流れ、荻上直子監督の名前が映し出された時に、私は拍手をし ながらふと隣の観客と顔を見合わせて微笑みあい、頷き合った。

母親がある日、仕事をやめて男と消えた。トモは叔父のマキオ(桐谷健太)のもとへ向かう。母親がいなくなるのも叔父のもとで暮らすのも初めてのことではな いが、いつもと違うのは、マキオが恋人のリンコ(生田斗真)と暮らし始めているということだ。マキオ曰く「ちょっと変わった人」であるというリンコは、ト ランスジェンダーの元男性。トモとマキオ、リンコ3人の暮らしがゆったりと描かれていく。

最初はこれでもか、というリンコの女子力にびっくりし た。ゆったりと話し、美味しい料理を作り、器用に編み物をし、袋状のナニカを大量に編んでいる。ちなみに200ccのEカップであるらしい。トモが公園で リンコが作ってくれたお弁当箱を開けると、中身は可愛いキャラ弁で、この時に観客が嬉しそうに笑ったのが印象的であった。上映中、観客は幾度となく食事 シーン、そして編み物をするシーンで笑い声をあげていた。(編み上げた108のナニカをお焚き上げするシーンが、私は大好きだ!)
 


日本のLGBTコミュニティ

さて、日本国内 でのLGBTの割合は13人に1人、左利きの割合とほぼ同じであるらしい。メディアに取り上げられることも多くなり、「オネエタレント」などが特に注目さ れるように、日本でも社会は少しずつ許容し始めた。しかし、何処か自分とは違う、理解しがたい、珍しい、というような視線、時に一方的に同情するような傲 慢な姿勢さえ感じることがある。

ああいう種類の人とは一緒にいないほうがいい。ちょっと普通じゃない。トモにそんな言葉を向けた少年カイの母親ナ オミ(小池栄子)も、決して悪意のある人間ではない。ただ、知らないだけなのだ。そして少年カイは6年生のオオノ君にもやもやしているし、不寛容な母親の 無理解に苦しんでいる。女であるとは、そして男であるとはどういうことか。現代社会の中で「本来こうあるべき」であるとされる性のあり方、そのカテゴリーにあてはまらない人のアイデンティティを私たちはどのように捉えるか。

中学生の頃に苦しんでいたリンコが「おっぱいが欲しいの」と呟くシーンが象徴的だ。母親フミコ(田中美佐子)はただ、「そうだよね」という一言で受け入れる。理解し受け入れるということはかくも簡単で、かくも難しい。私はこの映画を観ている間中、胸がちくちくしていた。マキオはリンコとの出会いを、一目惚れだったと回想する。男とか女とか、そんなことは関係なく、好きになっていた、と。

荻上直子監督の「彼らが本気で編むときは、」は、パノラマ部門とジェネレーション部門の2部門で上映されている。荻上監督は4度目のベルリン国際映画祭参加だ。
日本では2月25日に公開予定だという。