髙橋 悟
京都市立芸術大学教授
彼岸からの風景

Satoru Takahashi Satoru Takahashi  ヴィラ鴨川と関係を持つきっかけは、京都国際現代芸術祭パラソフィアだった。アーティストとして私自身もパラソフィアに参加したが、芸術監督の河本信治氏との意見交換の過程で、文化観光ゾーンである岡崎とは背景が異なる地域にアーティスト作品の展示をしてみようという事になり、崇仁学区を別会場として使用することが決定した。崇仁は、その長い歴史を通じて住民達が人権や差別に向き合ってきた重要な場所だ。私が勤務する京都市立芸術大学の移転先でもあるが、高齢化・人口減少・再開発によりフェンスで囲まれた空き地が急増している。芸術祭の下見にドイツから訪れていたアーティスト・ユニットのヘフナー&ザックスに紹介したところ、この地の歴史的文脈に触発され、また現状に興味をもってくれた。彼らは、文献調査や聞き取りだけでなく、地域の銭湯で入浴するなど体当たり的な調査方法をとった。「崇仁パーク構想」と命名された彼らのプロジェクトは廃校となった小学校の遊具・植物・植木鉢・電柱・廃材などからなり、DIY精神にみちたユーモラスかつモニュメンタルなものとなった。生気を奪われひっそりとフェンスで囲まれた土地が、かれらの作品により野生の力を取り戻したかのようだった。ヘフナー&ザックスの公園構想が指し示した未来図は、ステレオタイプの地域再生や環境デザインとは全く次元のことなるもので、地縁・血縁・関係縁の外部にいるかれらだからこそ実現できたプロジェクトだったと思う。

 これを機に、ヴィラ鴨川のレジデントを京都市立芸術大学の講師としてシリーズで招聘し、ほぼ1年間にわたり実験的に複数のレジデントにプレゼンテーションをしていただく事ができた。芸術という共通の言葉で表現しているつもりでいても、それを背後から支える教育や社会基盤の違いにより全くことなる意味を担うことが彼らとの交流を通じてわかったように思う。その意味では制作スタジオをもたないヴィラ鴨川のレジデントに大学のアトリエを提供することが可能となれば、貴重な技術的な感性や制作に関わる現場での決断など、作品のプレゼンテーションでは知ることができない個々のアーティストのコアにふれることができるはずだ。これは今後も丁寧にあつかわれて欲しい課題だと思う。

 最後になるが、ヴィラ鴨川のレジデントの手法について。レジデントという手法は制作や研究の質に広がりをもたせる。けれど、さらに大事なことは、帰属する場から少し浮いた地に足がつかない状態、社会の現実原則から距離をおいた身軽で無責任なヴィジョンを持つことを可能にする事だ。多様性が強調される現在であるが、その一方で、社会の価値判断の基準である現実原則は、グローバル経済ネットワークにより均質化してきてもいる。世界の見かたは単純化してきてもいるように思う。

 【ヴィラ鴨川】は、現実原則から距離をおいた他者の視線を生み出し、私達の所属する「いまここ」を【】に入れて、その意味を問い直す外部記憶装置として機能し続けている。私はその事に感謝の意を述べたい。



 

ドイツ語翻訳:池田イゾルデ